第7話『キラキラにすむ妖精』

■「妖精さん」が見えるか見えないか


今回はまさに3〜4歳の目線の話、と思いきや、
必ずしもそうはなっていない面白い回です。

川原にキャンプに来た、景太朗パパ、ツヨシくん
ネネちゃん、コメットさんとケースケ。
まずすぐに引っ掛かるのが、釣りをしているパパ
が川の妖精らしきものを見ても驚かないことです。
5話の時、パパは「輝き」を感じられないけれど、
「ある」と信じようとする人間、と書きました。
感じられなくても、「輝き」を大事にしようとい
う姿勢がある。つまり、パパは川に妖精が「いる」
と「思おう」としているわけですが、問題はここ
で実際に妖精が見えているかいないか、というこ
とです。

今回は絵的には「見えて」います。
5話の時とは矛盾するわけですが、これは結論と
しては、見えているか見えていないか、あいまい
にしてある、としたほうが妥当です。そのあいま
いさが、『コメットさん☆』という作品の雰囲気
の基本です。

今回に関して、あえて、なぜ、見えている描写に
なるのかといえば、それは今回が3〜4歳の目線
の話だからでしょう。ツヨシくん、ネネちゃんは、
「パパは妖精が見える」と信じている、だから、
パパは実際に妖精が見える、という描写になって
いる。

3〜4歳目線の「ファンタジー」を維持するため
の描写。そして、次のやりとりがこれを補強しま
す。

「おーい、パパすごいのみたぞ」
「ネネちゃんもみた。バッタだよ」
「バッタか。パパのは川の妖精さんだ」
妖精さん?」
「つかまえたの?」
「ははは。妖精さんはつかまえちゃいけないんだ
こういう、きれいな川だけで生きられる生き物だ
からね」
「…また、師匠」
「お、うそだと思ってるな?」
「妖精なんて…」
「いるわ、妖精。だってわたし、星の
妖精だもの」

この最後のコメットさんのセリフもパパと同じ
「あいまいさ」を含んでいます。彼女がどのくら
い本気でこのセリフを言ったのか、とこだわるよ
り、「ファンタジー」を維持するための「語り口」
と考えたほうが良さそうです。つまり、絵本の文
章のようなもので、日常会話、リアリズムのセリ
フではありません。

しかし、そうはいいながらこの直後、「間」が入
ります。リアリズムの「間」です。この「間」に
よって、コメットさんが「おかしなこと」を言っ
ている、ということになってしまうわけです。パ
パは当然、好意的に解釈しますから驚きません。
しかし、ケースケはとまどっています(リアリズ
ムで考えているから)。ケースケだけ、12〜3
歳の目線で、3〜4歳のファンタジー目線の世界
から片足出している感じがあります。つづく、次
のやりとりでさらにはっきりします。

「ふ〜っ、やっぱり外で食べるごはんは最高だな
あ」
「藤吉家王国憲法第12条!」
「12条?」
「おいしい空気を…」
「…ツヨシくん」
「…わああっ、えと、おかずにしよう!」
「あは、それも憲法?」
「もちろん」
「…変な一家」
「そこがいいんじゃなかったのか?」

このパパのセリフ。
ケースケは景太朗パパのことを「師匠」と呼ぶく
らいですから、パパとその一家の有り様、「ファ
ンタジー」に憧れているわけです。ですが、とき
たま、その「ファンタジー」についていけない気
がしてしまう。
そんなケースケを見て、パパがちょっと「素」に
戻るような感じがあります。
3〜4歳の目線から12〜3歳の目線に切り替え
る、という言い方もできます。
やはり、この二つの目線があるために(「親」の
立場にいる景太朗パパもそれぞれの接し方をする
ために)、「ファンタジー」に徹しきれないとこ
ろがどうしても残ります。
だから、冒頭の、パパは妖精がほんとに見えてい
るのか、という疑問も出てきてしまうのです。

絵本的、と思っていると、リアリズムも顔を出す
ことがある。そしてその境はあいまいにされてい
る。それは作劇における二つの目線から生じたも
のらしい。
不思議な構成です。


■メテオさんの「位置」(2)


メテオさんもときたま、実に醒めた「大人目線」
をすることがある、と前回書きました。
その答えを今回、メテオさん自身がセリフで語っ
ています。

弱った妖精さんをどうすることも出来ず、コメッ
トさんはメテオさんの力を借りようとします。結
局、最終的にはコメットさんは事態を解決できな
いわけです。むしろ、出来るのは、たとえばツヨ
シくんネネちゃんと「輝き」に接したときの「感
動」を共有することだけです。そして、事態を解
決するのはいつもメテオさんの方です。役割、と
言ってもいいです。

雨で増水し、濁った川では妖精さんは元気にはな
らない。そこで、星力を使うことになるわけです
が、ここから、メテオさんが人が変わったように
コメットさんをリードしていきます。そしてこう
言います。

「小さな命の輝きを守るのは、星国の
王女として当然の仕事だわ」

要するに、王女、女王的なメンタリティをきちん
と持っているわけです。いざとなると、メテオさ
んは、ムークが感激するくらいこのメンタリティ
でたのもしく、行動的になる。今回もバッタビト
に星国に連行されそうになるラバボーのかわりに
妖精さんを連れて行くように促します。よく考え
ると説得力はないのですが、迫力で押し切っって
しまうところがあります。

女王というのは、星の子にとってはいわば「親」
の立場にあるということです。だから、5話での、
「醒めた」「親」の目線とは、女王的目線、態度
のようなものかもしれません。

もう一つ、メテオさんがコメットさんのことを
「いじわるなコメット」と言うのも、女王的メン
タリティゆえかもしれません。他人に出し抜かれ
ないために常に相手の考えのウラを読む。カスタ
ネット星国の王家ではそれがあたりまえなのかも
しれません。だからそういう教育がなされている。
それは後半で登場するメテオさんのお母さんの性
格、物言い、から推測できます。その女王的メン
タリティによる策略が、コメットさん相手にはい
つも裏目に出てしまう(ぴかぴか賞以来)のでコ
メットさんが「いじわる」をしているようにしか
思えない。ただでさえウラを読むわけですから、
メテオさんはそう考えます。

さらに、コメットさんの考えが読めない、という
のも理由としてあります。読めなくて当然です。
コメットさんは何も考えていないときもあります
から。5話のようにめずらしく「読める」時はメ
テオさんは女王のような、落ちついた表情をする
のかもしれません。

ラストのコメットさんとラバボーのメテオさん評。

「素直じゃないぼ」
「そこがメテオさんらしいとこ」

本当は根は優しい部分と、女王的メンタリティの
部分がメテオさんの中でせめぎあっている。
それが実はメテオさんの「成長」と関わりがある
ような気がしてきました。
そして、コメットさんも何も考えてないように見
えてメテオさんのことをわかっている。コメット
さんは実にとらえどころがない人です。メテオさ
んが「いじわる」だと思ってしまうのもわかるよ
うな気がします。(2002/04/13記)