第31話『マネビトさんがいっぱい』

■コメットさんの「自分磨き」


きっかけは沙也加ママが病気で倒れたことから始
まります。ツヨシくんがパパのマネをして、寝坊
したコメットさんが入ってきます。右にコメット
さん、左にツヨシくんネネちゃん、それを中央に
置かれた物体の裏側から見たロングのカットがあ
って、両者の目線が物体に集中、物体の正面カッ
トになって、それが時計であることがわかり、時
間になってもママが起きてこないことが示唆→OP
はさんでベッドの上の沙也加ママ、という省略の
うまい、凝ったコンテ、演出になっています。
今回のコンテは小高義規氏、演出は佐土原武之氏
です。

文字どおり、「親代わり」をしなければならなく
なったコメットさん。しかも、ケースケに感化さ
れたらしく、「星力は使わない」という制限を自
らに課す。

どうやら今回は「自分の力で頑張る」というのが
テーマのようです。

ここでコメットさん自体の「輝き」について。
シリーズ全体をとおして見て、やはりコメットさ
んの「輝き」は「成長しない」ことにあるような
気がしてなりません。

「ただ『輝き』を見たい」、「他人の『輝き』を
応援したい」という純粋さがありつつ、行動その
ものは思いつきで、学習をまったくしない、そう
いう「無垢」な部分しかないというところがコメ
ットさんの「輝き」です。

「無垢」であり続けるがゆえに「成長」しないの
です。だから、コメットさんの場合、「『輝き』
磨き」というのは実は矛盾した表現です。

「素」のままで素晴らしい「輝き」があるのだか
ら、「磨く」必要があるのか、ということです。

だからそれは「自分磨き」と言うのが妥当なとこ
ろなのですが、もし成長してしまったら彼女の
「輝き」は(すべてではないでしょうが)失われ
てしまうのかもしれません。
もちろん、成長しないままでは「親代わり」とし
ての実作業はこなせないし、将来トライアングル
星雲の未来は担えないわけですから、いずれは成
長しなければなりません。
しかし、シリーズで描かれる範囲内ではコメット
さんの変わらない「輝き」のほうが大事にされて
いるような気がします。

今回の本編でも、「星力は使わない」と宣言した
そばから、「今だけ」とか言ったりしてさっそく
使ってます。さやかママのお店の店番をするシー
クエンスでも、星力を使う、使わないで揺れる描
写があります。演出的には、ここでコメットさん
が「うん、頑張る」と言って、左手を上げるカッ
ト、1カットはさみ、今度は「できるよ」と右手
を上げるカット(おそらく左手を上げるカットの
画を左右反転してるのでしょう)の切り替わりの
リズムが気持ちいいです。

脚本上ではこの「自分の力で頑張る」=「自分磨
き」が独特の「連想」として繋がっていきます。

まず、メテオさんが「『自分』で頑張る」ために
自らのコピーを増やす。しかしメテオさんだから
コピーたちも仲違いする。

この描写をコメットさんに置き換えた場合、それ
はプラスに転じて、

コメットさんはいつもみんな(の「輝き」)を応
援してくれる、助けてくれる。

だから応援されたほうもみんな「コメットさんの
気持ち」で応援したくなる。(カロンのセリフ。
カロンらしくないですが)

「コメットさんの気持ち」がいっぱい→コメット
さんがいっぱい。ひとりでもひとりじゃない。

この「連想」の流れから星力でコメットさんの分
身が現れ、コメットさんは沙也加ママの代わりを
達成します。


「わたしはひとり。でもひとりじゃないんだって」
「コメットさんがいっぱいだあ」
「うん。わたしと同じ気持ちの星の子たち。わた
しのマネする子」
「…マネするの?」
「うん。でもわたしも沙也加ママのマネしてただ
けだから、ほんとはママがいっぱい」
「ママが?」
「そう。ママはいつもお店やお家のこと、がんば
ってるでしょ」
「うん、がんばってる」
「いっぱいがんばってると、マネ
していっしょにがんばろうってい
う誰かがいるの」


何のことはない、これはタンバリン星国姉弟編で
の、「がんばってると『星の子たち』が助けてく
れる」というテーマを一段上にひねってきたこと
がわかります。

つまり、「自分磨き」ということを今回もまた、
「『輝き』の循環」テーマで落としたことになり
ます。

じゃあ、今回のコメットさんの「自分磨き」って
何だったのか。それは王妃が素晴らしいオチをつ
けてくれています。

「大丈夫です、コメットはそんなつもりでやって
いるのではないのですから」
「…そうかのう」
「がんばることをやってみたいだ
けです」

(2002/09/08記)