旧来の「アニメファン」と現在の「アニオタ」の齟齬についての個人的試論(あるいはアニメ感想問題2013。←何度目だよ(笑))

一昔前にあった世代差の問題ではなく、最近感じるようになった、もっとロングスパンでの思うこと。

前置き。各話感想はほぼツイートで済むとして、余程の物でもない限りブログで書くことも滅多になくなってきたんだが、その代わり、自分の長い経験から感じるんだけど、昔からよく言われる忙しい日常で大量のアニメをいかにして消化するか、生活とアニメ視聴の、上手いバランスの取り方はないものか問題に関心が移ってきた。それは比較的以前からそうなんだけど、リアリティの基準の捻れの問題と主に二本立てで関心があったテーマ。で、リアリティの基準の問題は、自分は素人だし、プロのアニメ研究家(評論家ではなく)に任せるとして諦めた。

で、残るは生活とアニメ視聴のバランスだと思うのだが、7月新番はまた本数が増えるみたいだし、ある程度スタッフには申し訳ないが、物理的限界や体力の衰えの問題により絞らざるを得なくなる。

そこでふと思ったのは、個人的に昔から現在までのアニメファン、アニオタのあり方の歴史的経緯を振り返るに、これは個人的な見方なのだが、70〜80年代あたりのアニメの本数は今に比べれば少ないわけだが、名作と呼ばれたものの比率は今と変わらない気がする。確かに後世に影響を与えた意味では価値が高かったものもある。
さらに問題点を絞ると、アニメの歴史意識を持つことは良いことだと思うのだが、アニメスタッフはもちろんのこと、加えてプロのアニメライターや、地道なアニメ研究家には素人には敵わないから、熱心にこれから勉強したい人は別として、素人は(自分でアニオタを自称していても、分際をわきまえた方が賢明)素直な感想に割り切った方がいいような気がする(すでにいると思うけど)。

やっかいなことに問題はそれだけに止まらなくて、昔の濃いアニメ誌の影響かもしれないが(自分も騙された口だがw)、真面目に考察する傾向、本編をネタにして楽しむ傾向、70〜80年代頃は、アニメの進化が作画ドラマ演出それぞれの進化が劇的なスピードで進行し、分かりやすかったから、一つのジャンルだけでなく視聴可能なアニメすべてをチェックする習慣が自然に生まれて(どの作品で革新的な表現が生まれるか分からない状況だったから)、当時は数が少なかったから充分俯瞰できた。というわけで、主にそんなアニメファンの暗黙の視聴態度が当時あった。ま、すべてのファンがそうだったわけじゃないが。

ところが、ネットで可視化されて、初期のネットでは、アニメの歴史アーカイブは正解かどうかさておいて、ある程度アップされて能動的に見られたはずなのに、Twitter等の普及であまり歴史意識を持たない層(何故そうなのかはそれはそれで理由があるが割愛)が素直なコメントしたりしてトラブルになったりしているのをみると、何だかなあ、と思うわけだけれども、意識的にアニメの歴史を勉強したい層は別として、そうでない人は別に素直な感想でいいんじゃないんでしょうか。中途半端な知識の人間から絡まれてもいい気はしないでしょうし、雑音をカットして楽しんだ方がしあわせだと思います。

まとめ1。いったんアニオタの歴史意識を持って出来るだけ多くのアニメを観なければならない、という性癖に近い習慣というか縛りからいい加減自由になってもいいんじゃないか。

まとめ2。アニメの歴史については専門家に任せる、あるいは興味のある人に任せる。そういう部分を意識的にパージすれば素直に作品のいくつかは楽しめるんではないか。

まとめ3。ただし、Twitter、ニコ動などのネットの問題。ネットの話題について行きたくて、早く観たくて焦るのも分かるが(自分も煽られて例外ではないが)、流行と関係なくゆっくり過去作品を観るのも精神衛生上好ましい、と思うのだが、世間の時間の流れと、自分の時間の流れをあえてずらさなければならないのでこの点については一番難しいと思う。