天の「星力」と地上の人の想像力

アニメ定点観測はもう少し後にして、実はアニメ視聴に疲れたので(定期的にあることなんで、一休みしたらまた再開しますが)、その間、気晴らしで、「コメットさん☆」の二次創作を妄想してました。

元々、やりたい普遍的なモチーフがあって、以前、3.11以後、これからは長期間持つ普遍的な物語が必要なのではないか、と書いたような気がしますが、3.11後、変わった変わったと、その直後盛んに言われましたけれど、権力者だけでなく、一般市民も(自分も例外ではありません)生活防衛に走り、「変わってほしかったのに、変わらなかった」ことが「変化」であったと言うのが、今になってみれば個人的な実感です。もちろん確実な変化もありましたが。生活防衛が最優先であれば、急激な変化はある層にとっては危機的な状況に陥ることにもなるわけで、安易に言えることではなかったと、反省もしています。

ただし、3.11以降からじわじわの露わになっていた諸問題がネットで大々的に可視化され、Twitterだけでなくリアルタイム映像メディアの、Ustream中継や、ニコ生の効果もあって、もともと以前から進んでいた問題が一気にぶちまけられた、という意味では「変化」と呼べるでしょうが、それらの問題に抗議するにしても、実際にゆるやかに変わっていくのはまだまだ時間が掛かっていくのであって、その意味では「すぐには変わらなかった」のが現時点で認めざるを得ないところです。

そこで「コメットさん☆」なのですが、個人的には「∀ガンダム」に共通するモチーフがあると思っていて、「癒し」です。「∀ガンダム」は富野監督の個人的な事情があったのは知っての通りです。
神戸守監督は「コメットさん☆」以降、元々は淡泊演出だった細田守監督が現在に至って、作風が変わっていく一方で、「エルフェンリート」「ソラノヲト」「君と僕。2(ラストコンテ演出)」でも一貫して淡泊な演出のままであリ(ソラノヲトは作風から控えめだったと捉えられることも出来ますが)、ゲスト演出の「苺ましまろ」「フラクタル」等でも淡泊なので、もはやそういう作風なのだろうと感じています。

それで「コメットさん☆」がなぜ「癒し」の部類に入るかと言えば、神戸さんと拮抗していた、全話脚本の故おけやあきら氏(桶谷顕)の力によるものです。脚本的には多少?な部分があるにせよ、鎌倉を舞台にした、ある種の独特な空気感を作り出していることは、作家性を全面に押し出すことを確信犯的に狙った、「おけやあきら」という脚本クレジットが示しています。アニメ作品で言えば、同じおけや表記の作品は、「コメットさん☆」以前には「ぶぶチャチャ」の2本しかありません。「ぶぶチャチャ」も幼児目線なので作品全体としては「理想郷」です。

コメットさん☆」もそういった要素はあるにはあるのですが、1話のホームステイする場所が見つからない切なさ、そのことを畳みかける神戸さんの冷たさ。神戸さんの子供番組らしなからぬ、淡泊な「映画的」演出が、ミスマッチとなって、「コメットさん☆」作品全体が「理想郷」そのものにならずに済んでいます。おけや脚本も後半で恋愛要素が絡んで来てからは、ドラマの変化が見られます。

全体の雰囲気に騙されがちなので、気づきにくいのですが、作品そのものには穴がいっぱいあります。

そういった穴や矛盾を埋めたい、という衝動が出てきたのが今の心境なのです。今更何故「コメットさん☆」なのか、全く知らない人はともかく、観たことのある人はそう思うでしょう。
まず約10年前と今とでは世界はだいぶ変わっています。藤吉家が路頭に迷っていたコメットさんを引き取れたのは藤吉家が経済的に恵まれた家族だったからです。当時はあまり突っ込まれた記憶はありませんが、今ではたぶん無理です。とすると、ほとんどの家族が余裕のない中、また、得体の知れない人物を引き取るには行かなかったのです。ですからコメットさんはどの家庭にも世話になれず、星国に帰るしかありません。ただし、当時では藤吉家と出会うことが出来ました。メテオさんの時と同じく、星の導きなのでしょう。

そこでようやく普遍的なテーマになります。「星力」「星の子たち」がそれです。まず、一般の魔法少女ものと違い、「星力」は「魔法」とは違います。「星力」は「星の子たち」の力を借りるのです。だから、「星力」が尽きれば、またチャージしに、夜空に向かいます。しかもいい加減な「星力」を使い方をしていると「星の子たち」は「星力」をくれません。「星の子たち」はそもそも「星国」の住人ですから、いずれ「コメットさん」に星国に帰ってくれることを望んでいるからです。

このまま続けると切りがないので、要点を言います。「星の子たち」は「星ビト」とも呼ばれますが、表現としてリアルな惑星ではありません。ファンタジーですから、と言ってしまえばそれまでですが、ここからは自分の妄想、解釈です。


というわけで、以下、自分なりの二次創作の妄想、メモです。

「四人目のコメットさん☆


前提として、ムック「メモワール・ド・エトワール」掲載の、おけや氏のその後のコメットさんエピソードに基づく。

モチーフ:
天の星々が、リアルな惑星ではなく、手の届かない超越的な光と捉えられるかどうかが「星力(ほしぢから)」の加護を受けられるかどうかにかかっている。超越的であるが故に、それは、「希望の光」でもあり、「災いの光」とも、どちらにも受け取られよう。いずれにせよ、星空を見上げる、地上の人の想像力の問題である。 


ハモニカ星国」、「カスタネット星国」、「タンバリン星国」、その三つを構成する「トライアングル星雲」のバランスが崩れ、それは各星国だけでなく、地球にも大地殻変動が起こり大きな被害をもたらした。

トライアングル星雲、地球双方を救うため、多くの星の子たちが犠牲になった。

それは、地球の「輝き」が著しく減退していたせいでもあった。

三代目のコメットさんやメテオさんの努力空しく、その過程でコメットさんは行方不明となり、メテオさんはどうにもできず、星国に戻るしかなかった。

地球と三つの星国は同時に衰退しつつあり、絶望的な状況にあった。

地球にはもともと、星国の存在は公には知られていなかったが、ますます「輝き」を信じる者は少なくなり、復興を目指すも、混乱が続いていた。

日常のささいな「輝き」(日常の再発見)とその土台となる普遍的な「大きな現実」。
魔法と星力の違い。そして魔女。


四人目のコメットさん☆・登場人物

四代目コメットさん:
(ザインは初期設定の初期Ver.を想定。スピカの娘?あるいは別の王族の娘?)先代の残したメモリーボールの記録から、現在の星国と地球とのあまりの違いが気になり、先代の行方を探そうと決意する。行動力はある方なのだが、存在するだけで周りを明るくする先代の天然さ加減に引け目を感じている。

カスタネット星国の王女になっていたメテオさんの制止を振り切り、地球に向かおうとする。

(「コメット」という襲名制)
(「コメットさん」は学校に行かない)

メテオさん:
カスタネット星国の王女にして、カスタネット星国軍隊の教官でもある。四代目コメットさんは以前、彼女の教練を受け、まだまだ未熟とされ、教練から下ろされる。

プラネット王子:
かつて三代目コメットさんに感化され、地球へ自分探しに出かけていた。
優柔不断な性格は潜めたが、代わりに女たらしの性癖にすり替わっている。
とはいっても、王族の裏工作の技術に長けるようになっていて、四代目のコメットさんを助ける。

星国全体のため、進んでタンバリン星国のプラネット王子と結婚したメテオさん。
ただし、プラネット王子は婿養子なので、タンバリン星国はカスタネット星国の支配下にある。

パニッくん:
羽仁君也。兄とともに星力の研究者だったが、兄は成長して切れ者になり過ぎたため、何者かに殺害されている。弟の君也は兄の意思を継ぐため、作家となり、隠遁生活を送っている。

ケースケ:
民間の、特定の国家にこだわらない、災害救助機関の仕事に就いている。

カロン
ヘンゲリーノのもと、地球の技術を習得していたが、裏切り、プラネット王子とともに四代目コメットさんに協力する。主に、ハモニカ星国で朽ちていた星のトレインを星力なしで稼働するように改造し、成功する。

ヘンゲリーノ:
元々はタンバリン星国の侍従長であったが、タンバリン星国がカスタネット星国の支配下に入ってもなお、老齢ながらタンバリン星国の実質的支配者。地球の権利者たちと暗躍する。
太陽光発電衛星と接続し、地上への電力供給のための建設中の軌道エレベーターを、星力収集装置として利用しようとする。


とまあ、こんな感じですが、四代目コメットさん以外はアニメ本編に出てきたキャラクター。分からない人には全く分からないと思う。一応20年後くらいを想定しているが、キャラの年齢設定との兼ね合いで充分変更有り。それに、肝心のドラマをどうするかまで至っていないし。

しかも富野好きの自分なだけに、多少シリアスになってしまうのは致し方ない。なるべくアニメ本編に近い柔らかさは出したいのだけれど。

このあと、「ソラノヲト」の権力問題とも絡めたいのだが、またの機会。リオも姫様なのでね。