たとえば、「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」ほかに見られる日常描写がリアルなのが当たり前になっていることなど。

予め言っておきますが、多少タイトル詐欺です。「なのは」2ndのドラマとかキャラの魅力についてはここでは語りません。
そういうのはファンの方々のブログとかTwitter等で語り合ってください。とりあえず個人的な定点観測の一環として本日見に行っただけですから。

シリーズ第2期の「A's」はTVシリーズをリアルタイムで一回観たっきりで結構忘れてるし、1期の映画も観てますが、そんなに思い入れがあるわけではありません。
1期も一回しか観てないので、これもはっきりとは覚えていませんが、1期よりも今作では日常芝居がより丁寧だったかな(話の内容によるのかもしれませんが)、とそんな印象を受けました。加えて、たぶんCGによる背景も力が入ってたような。

昔から一部の「アニメ」がより「映画的リアル」を目指してきたことは、ことあるごとに何度も言ってきましたが、それは部分的には日常芝居の表現の向上だったと思うのです。
異論はあるかもしれませんが、80年代ころから始まって(まあ、それ以前に名劇アニメがあったわけですが)、2000年代にある程度のクオリティで達成されています。

たぶん、もともと前提として2000年代前後に作画のクオリティが高まっていたこと。ジブリの影響もあるかもしれませんが、リアル芝居のアニメートが向上したこと。それ以降主に日常芝居で見せる作品が増えたこと。特に京アニあたりの、キャラの感情や魅力をすべて作画で見せようという姿勢(「氷菓」は多少そうではないようですが)。あるいは、ラノベ原作もので学校描写が多いこと。さらに言えば視聴者が自分の日常を基準に作品を観るようになったのか、等々。

加えて、舞台をリアルな場所から参考にするようになったこと、聖地巡礼。それを作り手が仕掛けるようになり、鴨川だとか下田だとか、鎌倉だとかをはっきりと舞台と設定したために、基本日常描写がデフォルトになる。背景がリアルになれば、キャラの芝居もリアルにならざるを得ない(作画上ブレはあるだろうが)。

つまり、背景にしろキャラの芝居にしろ、昔のアニメに比べれば情報量(という名のクオリテイ)が格段に増えるわけだ。

そんな、最近の情勢があるからなのか、上記にあるように、本来それほど日常描写にウェイトを置かなくてもいいはずの「なのは」でも、「クオリティ」の名の下に、そういったリアルさ加減が要請されたのではないかと思うのです。もちろん、サブストーリーなど世界観をメディアミックスで展開しているために、より情報量が増えるのもあるかもしれません。同じことが「ストライクウィッチーズ」にも言えて、実際のミリタリー要素からネタを引っ張ってきているのも情報量の一つだし、「なのは」と同じくサブ展開もあるようなのですが、ギャグが出来たりするところはまだ「なのは」よりは自由度あるような気がします。

唐突ですが、「宇宙戦艦ヤマト2199」の予習のために、旧作の第一作TVシリーズを観直しましたが、画はさすがにヤマト世代の自分でも酷いとは思うものの、各キャラクターを含めた全体の情感(各キャラの感情の流れを集約させたもの?)は実に強い一貫性として現れていて、画は酷いのに改めて引き込まれてしまうところがありました。一方「宇宙戦艦ヤマト2199」の方は、まだ第2章までですが、やはりキャラ、メカ設定、ビジュアルの情報量の割り増しに力が入ってるように見えます。

キャラ設定は細かくなされているようだけれど、それらが作品の一貫した情感に上手くリンクしているようにはあまり思えません。だから、旧作のような悲壮感がない、とも言われているようですが、作り手の世代や時代背景の違いもあり、難しいところではあるでしょう。

ちなみに、「なのは」2ndの情感の一貫性は最低限ながらも成立してたような気がします。終盤、シンフォギア並に大味でしたが(笑)。


とまあ、駄文を書きましたが、これはほんのアニメの見方の一つでしかないのであしからず。