輪るピングドラム

ネット配信視聴なので遅いんですが、ようやく最終話まで視聴完了。後半に入ってからの展開ですでに思うことは固まってて、年末のUstでもしゃべったことに付け加えて、改めて文章に落としとこうかなと。

具体的な作品解釈ではないです。宮沢賢治との関連性とか、よく言われてますが、そういうのとは違って、リアル感の表現方法、という側面から感じたことです。

すべてのアニメがそうだったわけではないんですが、設定やビジュアルにしろ、脚本、演出にしろ、リアル感を追求してきた歴史があって(どうしたら「映画」になるか、とも多少かぶるかと思いますが)、個人的にはその進化がどこへたどり着くのかという点に興味があって、ずっと長い間アニメに付き合ってきた感があります。

ビジュアルがまだ未熟だった時期は設定やドラマ性でリアル感を出す。やがて作画も何とかしたい、という欲求が推進力になって、採算度外視で作画技術が一気に進歩する。手描きによる過剰なディテール描写とかね。版権絵レベルのもがそのまま動くようになる。そして今度はカメラを意識するようになって、画面全体のレイアウトの方に関心が移る。カメラ位置、レイアウトによってリアル感が出せるようになれば、絵は記号的でもかまわない、ということが分かってくる。

たぶん一般的には、ビジュアルのディテール描写が細かければリアルと思われたり、テーマやモチーフが単純に現実に近いものだったり、ドラマの展開や描写が地に足ついているものがリアルな作品と思われたりして、例えば今敏監督の作品など、「実写でも出来そうなことを何故アニメでやるのか」とよく言われていた時期もあったけれど、その時期に個人的にはアニメのリアル表現の進化は止まったな、と感じたこともありました。

それ以降は単にドラマに関しても、リアルなテーマを扱っても、落としどころを見つけるのが難しくなりましたし、リアル感の共有に関しても、人によって何が「リアル」なのか、それも世代や年齢の違いだから、というわけでもなく、本当にバラバラで難しいという、そんな時代になりました。

ピングドラム」をリアル表現の進化の文脈で捉えるのは、筋違いかもしれませんが、過去の実際の事件などをモチーフの一つとして取り入れている以上、描き方が地に足ついていなくても、現実感、リアル感とどこか繋がっているのは確かです。表現としては非常に抽象的で分かりにくいけれども、記号性、比喩、暗喩など、抽象的な描写で最後まで貫いたことで、逆に現実とも繋がる心情レベルでの本質的なリアル感を抽出出来ている、という意味では、リアル表現の進化の文脈に入れてもいいんじゃないか、と感じました。

決して万人向けではありませんが、分かりやすく具体的な表現では返って焦点がぼけてしまうでしょう。そこはなかなか悩ましいところではありますが、個人的には、アニメでしか出来ないことをやっていると思っていて、ここ数年、アニメに期待することがなくなったと感じていただけに、まだやりようはあるんだな、と思わせてくれた作品でした。だから、観ていて面白かったのはもちろんですが、観終わってトータルで嬉しい作品になりました。