18話「愛の淵」

ネリーと比瑪との違い。それはネリーが、他のブレンたちと違い「恨み」や「憎しみ」だけでなく、生きることの「喜び」を得たいと思っているネリーブレンにネリー自身が救われたことにある。そこが(ブレンと心が通わせられるといっても)比瑪とヒメブレンとの違いである。
比瑪のその元もとのおおらかな育ち方が、ブレンたちやノヴィス・ノアのクルーたち全体に(彼女が意識してないにもかかわらず)とって「癒し」の存在(光をもたらす存在)ではあったが、ブレンも含め、個々のキャラが抱えている生き苦しさを癒すほどの力は持ってはいない。ただの一人の少女でもあり、それほど完全な女でもない。
勇がいなくなって、初めて自分の恋心に気付くような、そんな王道な少女マンガみたいな描写からもわかる通り、ただの一人の少女である。勇の方から比瑪に、いわばアプローチしてきたにも関わらず、比瑪はただその無邪気さをもって答えるだけで、勇の抱えているものは理解できない。だから、どうしていいかわからずに勇とも喧嘩したりする。
そんな勇と比瑪との関係の間に上手く入るのがネリーである。ネリーブレンのあり方が、命が限られているネリーとリンクし、ブレンと傷をなめ合うのでもなく、ジョナサンのように「憎しみ」を増長させるのでもなく、あり方が似ているラッセがとった行動とも違い、自分の短い命をささげてまでネリーブレンの願いを叶えようとする。
そんなネリーとネリーブレンの「情愛」ともいうべき関係は比瑪にもないものであり、ラストでネリーブレンとユウブレンが合体し、そこにネリーの命が入るという描写そのものが象徴的であるように、勇は初めてネリーから、ネリーとネリーブレンのような関係を受け入れ理解できるようになる。

今度はそのことを、勇が比瑪に伝える番だ。そういう意味では、ネリーは勇、比瑪にとっての姉的存在であったのかもしれない。特に勇にとっては、クインシィとはまた別の「姉」像を得たことになる。