最近の作品でよく言われる「手堅い作り」についての雑感

前記事の「モーパイ劇場版」元々ずばり、TV版に変わらず「手堅い」出来だったので、他のアニメ作品も含めていわゆる「手堅い出来」について何となく考えてみようと思っていた。

素人ながら、昨今オタク周辺であっても、景気はそんなに良くないことは皆さんよく知っていることで、商売する側も確実に回収しようとあの手この手を使い宣伝手法や関連グッズなどで引きつけるような展開があり、それらはちょっと前までは「作品」のテイストを無視したようなものがあった気がしたのだが、今だと、「作品」自体が視聴者(原作既読者)にきちんと向き合ってそれこそ視聴者の期待を裏切らず満足させようとする作りになってる物が多くなっているような気がする。とは言っても、そうやって綿密に作ったとしても、どうやっても当たり外れは出てきてしまうのがこの業界の厳しい所ではあるが、逆にそれゆえ、「ヒット」は狙わないが(あわよくば「ヒット」してほしいんだが)、無難とは言わないが、そこそこ「手堅い作り」で完成度を上げようとしているように見受けられる。

「モーパイ劇場版」も「手堅い」出来なのは間違いないが、今の観客に受けるのかどうかは微妙な所で、Twitter等では評判はよかったみたいだが、一般層に受けるかどうかは微妙だし、また一般層に受ける必要があるのかどうか、というのもある。商売的にはもちろんヒットした方がいいに決まっているが。

今思い付く所で言うと最近の水島努監督がある程度の落差はありつつ、総じて「手堅い」作品作りをしているように端からは見受けられる。今期で言えば「ウィッチクラフトワークス」だろう。
かつての「ケメコデラックス」のスタッフの狙いと視聴者の観たい物との大きな乖離をきっかけとして、視聴者を大事にした「手堅い」作りを模索して、そこで当たりを出したのが言わずと知れた「ガールズ&パンツァー」であったことはまず異論はないだろう。端正な「手堅い作り」でありながらも視聴者も巻き込んで盛り上がることが出来た理由については諸説あるだろうがここでは触れない。かつてクリエイターに自由に作らせた(おおらかだったのでそれができた)作家性の強い作品群がすべてではないがヒットした時代があったが、アニメ技術の分かりやすい進化を魅せる側面もあったから、リアルタイムでその流れを体験できた世代はその面白さを充分享受したから、執拗にクリエイター主導の作品を持ち上げたりして、今でもそんな尺度を今のアニメにはめて若い人の顰蹙を買ったりするのかもしれない。

もう昔の話になってしまっているが、テレビアニメ、つまりテレビ局自体に体力があった時代には4クールものが多く、1話単位では酷い出来があったにも関わらず長くシリーズを転がしていくと化ける場合が少なくないに比べ、今の1〜2クールではスタッフ(声優含む)がキャラをようやく掴んできたと思ったらすぐに終わってしまう。2期が前提であるわけでもないので例えば1クールないでそれなりの一応の決着をつけなければならなかったりする。劇場版や2期、3期が決まったとしても、最初の1期から間があいてぶつ切りになってしまうため、その都度ごとのイベント性が強くなり、連続4クールのような醍醐味はない。ただ、ニチアサキッズタイム等ではまだそんな醍醐味は残ってるのかもしれないが。

というわけで、主に深夜枠で長年試行錯誤を続けてきた結果、短い尺でもそれなりに「手堅い」作品をある程度は安定して作れるようになってきたのは時代の状況に良くも悪くも適応出来てきた成果なのだろうと思うわけだけれども、古参のアニメファンの自分にとっては手堅い「仕事」だ、というような評価をしてしまいがちだし、若いファンはじっくり一つの作品に思い入れが出来ない、という問題が相変わらず付きまとうのだが、そんな状況を変えるにはもはや至難の業になってしまったのだなあ、と思ったりする。