「キルラキル」の中に息づく「スケバン刑事」から続く実写ドラマの流れについてひとこと(T:M:M改訂版)

「少女コマンドーいづみ」が打ち切られて、残念という気持ちと当然という気持ちがあいまざった当時の心境を思い出すと、あの時の心残りを「キルラキル」に託したのだという気が、今、無性にしてきた。たった今、思いついただけだけど(笑)。
https://twitter.com/k_z_ki/status/390727048253014016

このキルラキル脚本家のツイートを見かけて、自分もスケバン刑事〜少女コマンドーいづみの流れはリアルタイムで観てて好きだったから分かるので(懐かしの「B-CLUB」という雑誌で過剰に取り上げられていた)リスペクトの意味でのキルラキルは分かるけれど、当時のスケバン刑事等の特撮ドラマは、あえてというより、当時の事情でしょぼすぎたんだが、80年代の初期あたりからの、昔の特撮を持ち上げつつも、逆に突っ込む楽しさがまだあった頃だから(パロディ文化旺盛の時代)、視聴者がツッコミつつも、意外に荒唐無稽であるが故に脳内補完して随分熱くなれた所もあったりして、まだ一般的だったB級アイドルドラマ、映画の流れとも重なり、それほど特別なものではなかった。

流石にキルラキルはアニメだし、時代も違いすぎるのだが、そういうしょぼさはギャグとなり、相変わらずの熱さがない交ぜになっているところはあるかもしれない。ただ、時代の違いは当時の実写特撮と今のアニメのクオリティの高さの距離感がかなり大きく開いてしまったところがあるのは当然で、今のクオリティレベルでスケバン刑事ほか他の過去の作品の要素が活かされているのは確かである。


ここから脱線するが、少女コマンドーの後番だったか、花のあすか組TV版の、コマンドーまでのベタさ加減に対して批評的なメタ目線は大変素晴らしかった。それは今に至ってまであまり評価されてないのが残念だ。スケバン刑事だったら、敵が珍妙な攻撃技を使ってきても誰も突っ込まず、ぶっ飛んだままの作品の空気が支配していて、少女コマンドーいづみもその路線を踏襲するのだが、次の花のあすか組からは、リアル目線が入ってくるのである。それは主人公三人組の青春ドラマ要素が追加されたからで、主人公三人組も戦うのだが、敵の例えば「風林火山」なる戦国武将なカッコしてた女の子三人組に対して、「そのカッコ、何?(笑)」とスケバン刑事ではなかったツッコミがされるのである。

さらに戦う時だけ戦国武将なカッコしてたとうの女の子たちは非戦闘時ではいたって普通の日常生活してたのが衝撃であった。ようするにコスプレなんだけど、当時は新しかったと思う。だからこそ、あすかの言う、「抗争は、これはゲーム、所詮ゴッコ(という予防線)なんだから一線を超えてはいけない」とうセリフに通じ、スケバン刑事〜少女コマンドーいづみ〜花のあすか組まで来て、批評的なメタ目線までたどり着いたのを観たときは当時唸った。もちろん、今では全然珍しくないんだろうけれど。




権利関係から音声が流れなくなりました。


「少女コマンドーいづみ」のOPかEDか、記憶が定かではありません。


さて、蛇足だが、当時の押井守スケバン刑事を褒めていて、それが紅い眼鏡に繋がったような気もしないでもない。

今となっては入手しづらいが、スタッフの作品に対する狙いに関するインタビューが充実してる。

なんか、キルラキル派と京騒戯画派の対立があるらしいが、個人的に京騒戯画が好きだな。

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あまり関係ないが、「セーラー服」で言うと、のちに90年代半ば、佐伯日菜子主演の「エコエコアザラク」がマニアックながら秀逸だったんだが、時代とシンクロしすぎたか、97年の例の事件で打ち切りになっちゃたんだよね。

80年代と90年代の時代の空気の違いを感じてください。

はてなブログ」の方で以前取り上げられたり、ブクマされたりしたので、向こうではそのまま残しておきます。