自己確認のための創作活動

ええっとまず最初に、近況と言いつつ、自分語り全開で以下書いていくので、興味のない人はスルーしてくださいという、但し書きをした上で本題。

2月頃だったか、公開範囲は友人のみでmixiで「創作系に戻ります」と宣言(というほどのものではないんですが。ちなみに、ネットでアニメ感想サイトを始めるまでは創作系の同人マンガ描きだったのです)して、この場合の「創作」は創作マンガなんですが、2月から5月の中頃までに、一本マンガを描きました。続いて今度はその続編として、初めて小説らしきものも書きました。
「トボフアンカル・ミニ・ワークス(T:M:W)」
http://tmw405.blog14.fc2.com/

これが個人的には久々のストレス発散にはなってそれはそれでよかったわけですが、初めから他人に読ませることを想定してないので、受けは悪いだろうということは客観的には分かっていました。世間の流行と、自分のやりたいものとのズレは初めから承知していました。

人には、他人の反応がないと何かの表現をする動機付けを維持できない、というのもあるでしょうが、逆に自分の場合はそれが縛りになってしまい、モチベーションが低下する原因になるんですね。

というのもですね、たぶん自分の場合特殊なんだと思いますが、「創作系に戻ります」といっても、もう戻る場所がなかったりします。自分にとっての戻る場所とは、80年代後半から90年代初頭のマイナーだけど、商業志向的なものを意識せず、描きたいものをそのまま描いて、内輪で盛り上がると、そんな場所でした。内輪であっても、あくまで個人的な印象ですが、あんまり閉じた感じはありませでした。ただのノスタルジーと捉えられてもかまいませんが、むしろ、今現在でそんなあり方はありえないのか、と強く意識するのです。

いや、仮にあるよ、と言われてしまえばそれだけなのですが、今回、描いてみて分かったのは手癖(身体性を伴うもの)がやっぱり過去から抜け出せてないという発見であり、やっぱりか、という感慨でした。

そこで、10代から30代中盤くらいまでに影響を受けたものに対する思い入れを全部ぶち込んで、なんというか人生のまとめには早いけど、思春期の総決算をする時期なのか、とも思ったりするわけですが、そうはしたくない、気持ちもあるわけです。

で、今思いついたのが、絵を描くのと文章を書くのは脳の別の領域を使っている(たぶん)はずだから、この10年近く、文章ばっかり書いてきたわけで、たまには脳の別の部分を使わなければ。そのための創作活動なんだろうなあ、ということです。脳の別領域、それも絵を描くということは少なくとも身体性を伴うので、それによって刺激されて活性化させることになるだろう。それをまた何らかの表現に生かせないか。と思ったわけです。

身体性の問題だから、体を動かしたり、ストレッチしたりすることと、それは割りと似ているんじゃないか。

そんなわけで、創作をやってみて自分にとっての意味はそんなもんなんだろうな、創作作品そのものが受けなくとも、という納得の仕方をしているわけです。

以上。近況でした。