電脳コイル 10巻

電脳コイル10 (トクマ・ノベルズEdge)電脳コイル10 (トクマ・ノベルズEdge)

徳間書店 2009-12-22
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物語も終盤に入り、今までの亀の歩みのようなペースが嘘のように中盤あたりから展開がスピードアップする(笑)今巻。
小説版オリジナルキャラも含め、登場するキャラの魅力もほぼ描写し終わったようなので、そろそろ風呂敷を畳む段階に入って、都市伝説的な存在、「あっちの世界」の「ミチコさん」話に一気に収束。

とりあえず今巻の終盤は、イサコは「兄」、ヤサコは(小説版オリジナルの)「タラちゃん」、そしてハラケンは事故で死んだ「カンナ」に会うために、「あっちの世界」にアクセスしようと試みる3人の話にしぼり、ハラケンに関しては今回で解決する。

3月発売予定の次の11巻以降で、さらにイサコとヤサコの話に絞られ、同時にその背後(黒幕?)の話、子供に何故電脳メガネが与えられ、そして小説では期限付きなのか、その期限を解除してほしいという願いが都市伝説的な存在、「あっちの世界のミチコさん」に上手く繋がったので、そこをどう解決するか。

どうですかねえ、今年中に完結しますかねえ。


アニメの「電脳コイル」以降、特に「東のエデン」あたりの、いわゆる「ウェアラブルコンピュータ」の使い方見るに、「コイル」の段階ではまだ「ウェアラブルコンピュータ」のあり方をアニメーション的に面白く見せただけで、結局は「あっちの世界」「こっちの世界」の話になってしまい、都市伝説話の段階で終わってしまっている。それは小説版になると顕著に現れて、「ウェアラブルコンピュータ」の話なのに、「拡張現実」のドラマまでは到達していない(「古い空間」云々と、設定描写は出てくるものの)。
それは、「拡張現実」のドラマを作るのが難しいから、かというとそうでもなくて、「マイマイ新子と千年の魔法」における、コンピュータを出さずとも、過去から未来を見通す「拡張現実」的な想像力を描く、というあり方をすでに見てしまったので、もう作り手書き手側の言い訳にはならない。

まあ、小説の「電脳コイル」に関しては、そこまで求めてはいないし、本質はそこじゃないとも思っているので、いいんだけれどね。むしろ、電脳ものとは何の関係もない、例えば「怪談レストラン」とか、「東京マグニチュード8.0」等の死者と生者との関係が、完全にスピリチュアルな方向で完結してしまっているのに比べ、今巻のハラケンのカンナに対する思いの収め方は安易にスピリチュアルな方向に行かず、ちゃんとまっとうにカンナを成仏させているところは評価できる。


「久しぶりね」
あっけにとられたままのわたしにイイジマさんが言った。
飯島聡子。大黒小でトップクラスの成績を誇る少女。かつていっときでも天沢さんを自分の言いなりにあやつったことのある、ただひとりの女子。
「ありがとう」なんと言っていいかわからなくて、とりあえずそうつぶやいた。
ふふんと鼻で笑いながらイイジマさんは「いらないから。そういうかたちだけの儀式(セレモニー)」と返した。
イイジマさんは、夏休みの最後に会ったときと印象が変わっていた。なんだろう、あのときと同じ黒くて長い髪、緑がかった瞳。なのに、なにかがちがう。
「ああいうの見ると、泣かしてやりたくなるの。無神経でゆるくて、なにもかもたれ流し。屑だわ。メガネの屑」
あっ、と思った。《メガネ》だ。イイジマさんは《メガネ》をかけていないのだ。《メガネ》を外したときに鼻のつけねに残る跡もない。つまり生(ナマ)だ。イイジマさんは《メガネ》をやめたのだ。
「そうよ、放棄したの」
わたしのおどろきに気づいたように、先まわりしてイイジマさんが言う。
「ほうき」
「期限まで半年かそこらなら、なくたって同じでしょ。それに、メガネのほうがこっちを見かぎったみたいに効力をなくしてくって、そんなの生意気だと思わない? 期限ならわたしが決めるわ。メガネなんかに決めさせない」
イイジマさんらしいと思った。ただの道具(ツール)に自分の生活を規定され、支配されることが許せないのだ。支配されるくらいなら、放棄する。
「いつまでも支配されて、おまけに『永遠にしたい』なんて、恥ずかしげもなくよく言えたもんだわ」
フミエちゃんのことばには嘘がないけど、イイジマさんのことばには迷いがない。
「…怖くないんですか?」
つい聞いてみた。
「こわい?」
どういう意味、というようにイイジマさんが首をかしげる
「マトバくんの執着は大袈裟だけど、たしかにメガネはいろんな情報を得るためには便利な道具だし。単純に指電話だってネットだって、たとえあと半年でも使えなくなったら不便で不安だと思うけど」
「ウェラブルコンピューターならメガネでなくてもいくらでもあるわ。今後もっと開発だってされてくはずよ。それをいつまでも子ども向けのメガネに執着するなんて、わけがわからないわ。依存症で苦しむくらいなら早めに自分で断ち切ったほうがいいのに。次の段階になじみやすいし」
「それが理由? イイジマさんがメガネを放棄した」
「そうよ」
「嘘」
いっしゅんおどろいたようにイイジマさんが黙った。
「イイジマさんは、メガネなしでひとを言いなりにさせたいだけ。だから少しでも早くその状態に慣れておきたい。そうでしょう?」
ふふ、と含み笑いしながらイイジマさんがわたしを見る。
「それよ。小此木優子さん、あなたのそういういじわるなところ、わたしけっこうきらいじゃないわ」
イイジマさんが歌うような朗らかな調子でつづけた。
「教えてあげる。生(ナマ)はメガネより癖になる。痛みも悲しみもなにもかも。いちどこれを実感しちゃうとね。だからそう苦じゃないわけ」
実感。
それは《メガネ》に関係なく、だれもが感じるもののはずだ。《メガネ》だからって、感じる恐怖や喜びがニセモノだなんて思わない。
「あ、いま。反発した、小此木さん。わたしの言ったことなんか、ただの偏見だって。そうでしょう」
わたしはうなずいた。しっかりと大きく。
「メガネも生も味わう感情は同じはず。どっちもほんもの。そう言いたいのね。まあ、それも否定しない。メガネには楽しませてもらったし。でも、どちらかの世界でしか生きられない、そういう人間もいるわ。そういうひとにとっては、どちらかの世界がニセモノ」
「いるんですか、そんなひと」
「いるわ。天沢さんよ」
イイジマさんがわたしに近づいた。横顔を重ねるようにして耳元でささやく。「知ってるくせに」
すこしだけ触れたイイジマさんの頬が冷たい。
「天沢さんは、メガネでしか生きられない」
わたしは黙ったままじっとしていた。
「その証拠はもうすぐ。天沢さん、いよいよ終わりよ。“あっちの世界”が見つかったらね」
「どうして言いきれるんですか」
「わかるでしょ。あなたなら、わたし以上に天沢さんのこと」
イイジマさんの声がひときわ低く、冷たくなった。
「あのひとには“こっちの世界”がアウェーなの。だからミチコさんに会ったら、“あっちの世界”に帰って、そして二度ともどらない」
イイジマさんが顔を離した。イイジマさんは笑っていた。
「どいてください」
イイジマさんをおしのけると、わたしは歩き出した。
「またね。小此木さん、またお話しましょうね」
わたしは返事をしなかった。そしてただ歩きつづけた。走らなかった。動揺してるとイイジマさんに思われるのが、なによりいやだったから。


こういうところは上手いんですけどねえ。個人的にはイイジマさん大好きなんですが(笑)。