情をうつさないような関係にしておくこと

「空気」と「世間」/鴻上尚史 (講談社現代新書)読了。

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

講談社 2009-07-17
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不安ゆえに、ひとつの共同体にしがみつけば、それは「世間」となります。しがみつこうとする自分を叱るのではなく、不安ゆえに、たったひとつの共同体=「世間」を必死で信じようと不毛な努力をするのでもなく、不安だからこそ、複数の共同体に所属して、自分の不安を軽くするのです。それは、相対化された「世間」と呼んでもいいし、「社会」とつながっている「世間」とも言えるのです。
(中略)
複数の共同体なら、自然とゆるやかな所属になるだろうと思います。たったひとつしかないからこそ、気がつくと「差別的で排他的」な関係が生まれるのです。
(中略)
たった一つの「共同体」に対して頼っているだけだったり、支えを求めているだけだったりしたら、いくらゆるやかに支えてもらおうと思っても、「共同体」の方からあなたを放り出すでしょう。
複数の「共同体」とゆるやかな関係を作りながら、あなたもまた、その「共同体」の人たちを支えるという気持ちを持つのです。

この方法論は、たとえば複数のネットサービス、コミュニティ等を上手く使いこなしている人なら当たり前のことだと思うけれども、これを読んで、小説版Vガンダムの以下のくだりを思い出した。

「少年。リーンホースJrで、なぜここまであがってきたか、その事情をきく気もない。君の事情を知ってしまったらつらくなるからな。ゲリラなどというものは、いつ命を落とすかもしれんのだから、仲間うちであっても、情をうつさんような関係にしておかなければならんのだ…(以下略)」

富野由悠季機動戦士VガンダムVol.3 マリア・リーディング」P184〜185/角川スニーカー文庫

小説版のVガンダムで、ウッソ・エヴィンが両親のことをジン・ジャハナム(影武者)に聞き、ジン・ジャハナム(影武者)が「わからん」と答えたあとに続くセリフの一部なのだが、刊行当時(90年代半ばだったか)、小説版全巻の中でも、この人間関係のあり方に妙に感心した覚えがある。

自然に情がうつってしまうことはもちろんあるし、「情」に救われることもあるから、「情」自体は否定しないが、「情」に過剰にすがったり、おぼれたりすると、関係を壊してしまうことになったり、逆にすがられたりすると相手のことを悪くは思いたくないからこそ、息が詰まるような思いをする。
だから、この「いつ関係が切れてもいいような関係」の作り方(「情」はあるんだけど過剰な「情」はうつさない)と解釈できるような距離感は新鮮だった。

今だったら、ネットサービスのツールを補助的に上手く使って、こういう関係性を作るのは比較的簡単かもしれない。しかし、ツールがあるゆえに、こじれるのもまた人間関係、というものかもしれないと思う。難しい。