4年ちょっと目のキングゲイナー

さて、転載も終わりましたので、ちょっとした総括というか思うところなどを。
この転載をやるにあたって、特にアニメ本編の見直しとかはしませんでした。当時リアルタイムで観た時の興奮した記憶を思い出しつつ、ほぼあらすじに近いこの文章を読み返して、あれから4年ちょっとたった後のキングゲイナーとはなんなのだろう、と少し考えていました。

リアルタイムでも観ず、富野アニメの歴史も知らない人が今、本作品を観た時に、このシリーズ構成下手じゃね?と思うかもしれません。話一貫してないじゃん、つじつまあってないじゃん、と。

ただそれは、当時のスタッフの発言を見ればわかりますが、ストーリーの一貫性をあえて放棄してまで、その場、その場、その回ごとの面白さにこだわった故なのです。当時富野監督は「芸能」「芸能」と連呼していましたし、このアニメそのものが「お祭りアニメ」だったからです。「エクソダス」について、富野アニメらしく重たい要素も含んでいます。劇中、「お祭りアニメ」といいながら、暗いシーンも少なくありません。それでも珍しく、ほとんどのキャラが明るく振舞っています。そして、過去に重たいものを背負ってるような気配もあります。ですから、「エクソダス」とはその重さからの解放をも意味していたとも解釈できます。

アニメ版のキングゲイナーは、富野アニメの宿命ともいえる、負の部分をチラつかせていました。それでも目指すところは「お祭りアニメ」であり「おバカなアニメ」でした。当時は先がまったく読めない展開の連続で凄く面白かったのですが、今どうなのか、と考えてみると、やはり負の部分が足を引っ張っていて、単純な娯楽作品としては成功はしていません。

ラスト2話で、主人公の一人であるゲイナーがラスボスになるという、前代未聞の展開になリ、それはゲインとゲイナー、二人合わせて「主人公」という、いわゆるバディもののパターンであったからこそ成り立った展開ではあったのですが、おそらくこれは、富野さんなりの「エヴァ」に対する返答のような気がしますが、いかんせん、インパクトはあったものの、シリーズ当初からのドラマ的必然性が弱いために、これも成功してはいません。ただし、それは今になって感じることであって、当時は「おバカな娯楽」であることが最優先事項ではあったのです。

その意味でキングゲイナーは、今の時代から少しズレてしまっているように思えます。むしろその前の作品、「∀ガンダム」の方が、今、もっとも旬な作品になっています。

ただ、幸いなことに、コミック版のキングゲイナーではきちんと一貫性のあるストーリー展開を目指そうという作者の意図が感じられますから、コミック版に期待しましょう。