第3話『星のトンネル』

■「コメットさん」というキャラの「多層性」


1話ではコメットさんは完全に「子供」で、「王
子様探し」という名目がありながら、実は「面白
そうだから」というのが主たるモチベーションだ
ったりします。
そこで2話で藤吉家に住まわせてもらうことにな
り、その代わりにツヨシくんネネちゃんの「親代
わり」を任されることになる。
そして今回の3話では「親代わり」を任されたコ
メットさんの姿が描かれる。「親」といっても、
ツヨシ、ネネと共通する部分も持ち合わせている
わけだから(でなければあの双子がコメットさん
を好きになることはなく、藤吉家に厄介になるこ
とも出来なかった)、どこか頼りなさもあって今
回の冒頭はそれを見せるような展開になっている。

つまり、無垢な「子供」(の部分を持ちながら)
でありながら、「親代わり」の立場にもいる。そ
ういう「特殊性」です。
だから、コメットさんに「等身大性」を求めるの
は無理というものです。たとえば『ドラえもん
でいえば、コメットさんが「ドラえもん」でツヨ
シ、ネネは「のび太」です。ドラえもんに「等身
大性」がないのと同じです。むしろ「等身大性」
があるとすれば、それはツヨシ、ネネのほうなの
です。

ですが、ここでさらに話をややこしくしているの
は、コメットさんの地球での生活が、いずれ「ハ
モニカ星国の王女」として、「トライアングル星
雲」の将来を担うための「修行」だと、「星国」
の王妃、王様、とくにヒゲノシタという「親たち」
が考えている、ということです。

「子供」、「親代わり」の「立場」に加え、
「姫」としての「立場」もある、ということです。

直接的にはそれはやはり「王子様探し」という名
目のなかで「王子様」=「瞳に輝きを宿す者」を
探すことが「『輝き』探し」ということに繋がり、
やがては「『輝き』磨き」に発展します。

そしてそのきっかけを作るのが今回の3話での、
ケースケとの出会いです。

3話前半、ツヨシくんネネちゃんを保育園に送っ
たあと、ラバボーが「輝き」をキャッチします。
その途中で沙也加ママのお店での、ママとコメッ
トさんの会話で「輝き」という言葉が(伏線とし
て)強調されます。

「わあ。かわいいですね、この小物たち。星の子
たちを見てるみたい」
「…星の子?」
「ええ。輝きを感じるんです」

(ここでまた「間」。これは2話の車の中であっ
た「間」と同じ種類の「間」です。コメットさん
のことを好意的に解釈しようとする「間」)

「そうなのよ、そうなのよ。あなたわかってるわ。
ここにあるものたちにはね、『輝き』があるの。
これを作った人の思いが『輝き』として、こう放
出されてるのよ」

このやり取りのあと、それを受けるように、ラバ
ボーの感じた「輝き」の主、世界一のライフガー
ドになる「夢」を持つ(そのことで「輝き」を持
つ)、ケースケと出会うという流れになっていま
す。

脚本のおけや氏はDVD BOX1ブックレットのイン
タビューで、
「ツヨシくんやネネちゃんと一緒に3〜4歳の子
の目を通してコメットさんが地球という場所での
暮らしを進めていくのと同時に、コメットさんの
12〜13歳という年代で起きるドラマというの
が両方あって」と、
作劇上二つの方向性があることを語っています。

この12〜13歳のドラマというのが、単に「恋
物語」というだけでなく(「恋力」というものも
出てきてしまうので、よけいに混乱させてしまう
のですが)、「『輝き』磨き」という、「成長物
語」と錯角させる要素も孕んでいて、でもコメッ
トさんの「輝き」は裏表のない「無垢」なところ
にあるわけで、「成長物語」とははっきり矛盾す
る。

この「矛盾」がシリーズ後半、非常にシリアスな
ドラマ展開になったとき、コメットさんを苦しめ、
コメットさんは何も出来ず、そのかわり、逆に「成
長物語」を担うことになるメテオさんがドラマを
引っぱるという、とても複雑なドラマ構成となる
わけです。

なぜそうなるのか。
これは実写版の設定を継承したことに原因があり
そうです。
実写版についてはくわしくはわかりませんが
どうやら、コメットさんの「無垢」なところは、
一作目、九重佑三子版の性格設定で、「『輝き』
探し」に関しては、二作目、大場久美子版の「本
当に美しいものを探す」という設定を、三代目は
受け継いだためらしいのです。そしてシリーズ全
体を観終わった今となってはスタッフはこの継承
された設定に忠実に、妥協することなく発展させ、
ドラマを描き切った、という気がするのです。

これについてはゆっくりと検証していきます。


そんなわけで、
今回の3話は画面的には地味ですが、
以後発展するコメットさんの「特殊性」、「多層
性」の「芽」が出はじめた回と言えそうです。
(2002/03/10記)

だから、アニメ「コメットさん☆」のドラマとしての破綻の芽は最初からあったんじゃないかと。それをどう脚本のおけや氏が回避しようとしたかについては、またの機会に。