アニメ様の七転八倒:第68回 宮崎駿と判官びいきのやり過ぎ

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僕のアニメ史観では、宮崎駿の名前がファンの間に浸透していったのは、1980年から1983年の間だ。つまり『カリ城』公開から『風の谷のナウシカ』公開までの事だ。その時期に新作を次々を発表したわけではない。むしろ逆だ。その数年間で、彼の作品で陽の目を浴びたのは、1980年にペンネームで手がけた『新ルパン』の145話と最終話の2本だけだ。『新ルパン』の後、彼は東京ムービー新社の劇場作品『NEMO』や、イタリアとの合作『名探偵ホームズ』等に参加。『NEMO』はプロジェクトの初期段階で降板、『名探偵ホームズ』は途中で制作が中断。他にも企画はあったようだが、いずれも実現はしていない。宮崎駿にとっては不遇の時期だったが、その頃に彼の人気は高まっていった。

個人的にはこのあたりで宮崎駿に傾倒していった時期に当たる。
富野由悠季への評価が下がっていく一方で、これからは宮崎駿だよね、という気分が確かにあった。
この時期宮崎駿のファンになった人はもっとマニアックに、『風の谷のナウシカ』以前の仕事をチェックしだす。
一方、創作マンガ同人系では原作『風の谷のナウシカ』の影響が強く出た時期でもあった(もう少し後かもしれない)。

一創作マンガ同人の一人として言わせてもらえば、『天空の城ラピュタ』でそれ以降のレトロフューチャーの時代の流行を予見した、という意味では、その嗅覚の鋭さに震えもした。


アニメージュ判官びいきに火をつけ、その後、80年代後半あたりの「コミックボックス」で毎回のように宮崎のインタビューが載るようになって、その傾向はさらに増幅され、ファンだけでなく、一般に浸透する直前にTVタレントあたりが彼の作品が好きだと公言しだすのもこのころだ。

おそらく、「ナウシカ」以前以降と分かれるのだろう。「ナウシカ」は厳密にはジブリ作品ではないが、未だに、「ナウシカ」以降が「ジブリ」アニメであると思っている一般層が相当まだいる。ファンから言えば、宮崎のもっとも旬な時期の作品は「カリ城」や「コナン」あたりが常識になるわけだが、あまり過去に目がいかない一般のジブリファンの、たとえば男の子あたりに聞いてみると、必ず、一番好きな宮崎アニメは『天空の城ラピュタ』である、ということからもわかる。


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