宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』

東京大学「80年代地下文化論」講義
東京大学「80年代地下文化論」講義宮沢 章夫

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80年代、それも80年代前半の、サブカルチャー側から見た「かっこよさ」。あの「かっこよさ」はいったいなんだったのか。その「かっこよさ」に見事に当てられてしまった、当時10代だった俺としては、そのことに20数年もの間ずっと引っかかってきた俺としては、何らかの「答え」が見つかるかもしれないと思って読んだわけだが、結局「答え」は見つからなかった。いってみれば著者、宮沢章夫氏の当時の回想録といってもいい。いってもいいのだが、いかにあの当時の空気を語るかが難しく、かつ、徒労感に終わるだけだ、ということは再確認できた。いや、またしても再確認で終わってしまったのでまたしても鬱に陥るしかないのだが、確かにあの当時、「かっこいい」という「気分」はあったのだ。

今から見て、どんなにスカと言われようが、浅はかと言われようが、「かっこいい」という「気分」はあったのである。あの「かっこよさ」はなんだったのか。それは「かっこよかったから」としか言いようがないのである。

あるいは、「憧れ」と言い換えてもいいかもしれない。見下された側から言えば浅はかな「エリート意識」の「敷居の高さ」に対する「憧れ」。

また、この当時、まだ「東京(「TOKIO」として捏造された都市)」と地方に距離があったからこそ生じた「憧れ」かもしれない。それは確かに「幻想」にすぎなかったのだが、憧れる側に、純粋な、「期待感」、「開放感」を与えてくれるものではあったのだ。

いかに脆弱であろうと、「憧れ」という「カタルシス」を与えてくれるものではあった。
確かに、そういう「空気」が当時あったのである。