何故「涼宮ハルヒ」は賛否分かれて、「時かけ」は絶賛の声ばかりなのか

4月スタートの新番組で「涼宮ハルヒの憂鬱」が始まってすぐにえらい騒ぎになりました。その時点では僕は「エウレカセブン」擁護に疲れ果てていたので、いったんこのブログを閉鎖し、「ハルヒ」についてはもちろん観てはいましたが、簡単な感想はmixiの方で書いていました。


あまりにも騒ぎが大きすぎて、逆に引いてしまったのと、あまりに売らんかなな、商売臭かった側面が強かったせいで、初めから否定的な先入観を持ってしまったので、まともには観られませんでした。それでも気になったので、あえて商売に乗せられて、原作を最新刊まで読むことにしました。

一番最初の、「涼宮ハルヒの憂鬱」(原作)はそんなに悪い話ではありませんでした。むしろかわいい話じゃないか、と思いました。ハルヒ視点で見れば、なんだ、これはコバルト文庫じゃないか、と思ったほどです。

設定うんぬんについてあえて無視して見た場合、中学生的、思春期的な妄想を抱く涼宮ハルヒが、かわいく見えたのです。まあ、世間的には長門の方が人気があるようですが、個人的にこんな子に振り回されてみたい、そしたら、「世界」が新鮮に見えるんじゃないか、と感じたのです。それは、何も面白いと思えなくなった自分の事情にもよるのですが、原作の続きを読んでいくうちにキョンも結局、同じなんじゃないかと、思いました。

ただ、今、「ボーイミーツガール」を描くにはこんなにも迂回した方法を取らなければならないのか、とも思ったのは確かです。そこに、やはり、ある種の閉塞を感じたのは確かです。

しかも、アニメが「産業」になったことを象徴するかのようなあからさま商法、さらには、これはWeb2.0的なビジネスとしての成功例だ、と言われていまえば、もううんざりするしかありませんでした。

「アニメ」はもう時代の先進性は担えなくて、それはいまでは主にライトノベルというものが担っていて、「アニメ」は「ライトノベル」を宣伝するための映像ツールでしかないのか、そこまで「アニメ」は成り下がったか、作画や演出面など、映像表現としてはどんどん進化しているものの、「アニメ」が「アニメ」である理由はそこにはなく、「アニメ」も落ちたものだな、と感じました。

で、次は「時かけ」についてです。

時かけ」についても、公開前からあまりにも絶賛の声ばかりなので、やはり引いてしまい、あまり期待で胸一杯、というわけにはいきませんでした。それでも、実際自分の目で確かめるほかはなく、観に行ったのですが、先入観を抜きにしても、完全には絶賛できるものではありませんでした。ただまだ公開中の映画ですし、都内では上映館は少ない、という話も聞きます、だから、現時点であまりこの作品について否定的なことを書くのは、ネガティブキャンペーンとも受け取られてしまうので、ちょっとやわらかな書き方をします。

主人公の声と、天然入った性格は良かったと思います。タイムリープを、まるでのび太ドラえもんの道具を手に入れたような描き方にしたのも、上手いと思えました。ただし、ギャグの部分では、かつて細田さんが「明日のナージャ」のギャグ回であらわになった、「計算」が透けてみえてしまう部分がどうしても鼻につき、素直には楽しませんでした。が、主人公の喜び、とまどい、悲しみ、などの感情表現は、とても素直ではっきりしていて、好感が持てました。

実際、今の若い人ってそんなに感情表現を素直に出さないじゃないですか、あるいは、出すことが下手じゃないですか、また、アニメや映画や小説でもいいのですが、若い人の不器用な面、暗い面ばかりを取り上げがちじゃないですか。そんな状況下で、「ハルヒ」とは違い、素直な、オーバーともいえる感情表現、そしてそれを前向きな方向に持っていく、そんな描き方がとても新鮮だったのだと思います。「アニメ」、「オタク」文化に閉塞感を漠然と感じていた僕等は、その描き方、いや、志に感動したのだと思います。

「オタク」文化に覆われていまったような今の「アニメ」に風穴をあけるような、作品だったからこそ、絶賛の嵐になったのだと思います。

ただし、個人的には主人公の女の子には感情移入できませんでした。年齢の問題もあります。
等身大のものとして素直に感情移入はできなかったのです。まあ、個人的な問題なのですが、どちらかというと、観ていて、「大人になった」芳山和子の方が気になったのです。ああ、芳山和子が、嫌な女になってる!って思ってしまって。「タイムリープなんて、よくあることよ」(でしたっけ?)なんていうんじゃないよ! そう思ってしまったのです。そこが気になって気になって、だから魔女(主人公は不思議なおばさん、という程度のとらえ方なのでしょうが)って呼ばれてるんだろうけど、そこんとこもうすこし突っ込んでくれたらなあ、とか思ったわけです。

大人が無責任な作品だと思ってしまったのです。

でもそれをやったらスコーンと抜けたような爽やかさは出なかったろうし、逆に、芳山和子がいい大人になって説教くさくなったら、現時点での絶賛の嵐状態にはならなかったはずです。主人公に何も知らせず、楽しいことでもそのことには大変なこともあること、それを、主人公自身に気付かせること。

僕は、最近ありがちな、大人だけが喜ぶ子供アニメの抱える問題についてずっと引っかかっていました。今でも、それははっきりとした答えが出ないまま、未だに引きずっています。それを、その問題を、「時かけ」は上手く回避して処理してるなあ、上手いなあ、と思ったのです。

それでも、僕は年寄りなので大人になった芳山和子は何を思ってるんだろう、そこをもっと知りたいな、と思ってしまいます。でも、それはこの作品ではやることではないな、と思いました。そういうことは細田さんが、今後の作品で作ってくれるでしょう。そう期待して、この話は終わりにします。


http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31746575