今春アニメ新番、タイトル変更、OVA先行放送を含めると、全65本という史上最多の改編期

http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20060311
めまいがするような数なのだが、一つのある傾向があるようだ。ただ数が多い、というだけでなく、マンガ原作、ラノベ原作、ゲーム原作、続編、放映期間延長もの、と、企画自体にそれなりにコストをかけずに済むラインナップだと言えるだろう。
ところで、ニュータイプ2月号の藤津亮太氏の連載、「アニメの門」にて、『アニメの「すそ野」と「飛び地」』という文章がある。

05年のTVアニメを振り返ってみると、「有名原作を使い、ドラマなどを見ている層にアピールしようと試みた作品」がそれなりにボリュームと存在感を持っていた。(中略)なんといってもコミック分野は読者のすそ野が広い。「オタク」に分類されない多数の人たちが漫画に触れ、購入している。アニメ市場には、こうした幅広いすそ野がまず欠けている。(中略)だからこそ、多数の作品が少ないファンを取り合うことになる。そのプロセスで、ファンの嗜好が過剰に作品に反映されるようになり、一種のバロック的進化を遂げる。もちろんそういう状況でなければ生まれ得ない作品もあるが、多くの場合、その先は進化の袋小路に陥ることになる。(一方、(カッコ内はとぼふによる補足))漫画というジャンルが日本最高のエンタテイメントジャンルであるのは、コアな層から広大なすそ野まで広がる多数の読者に支えられているからだ。読者の数が、産業的に「周縁」を支えることになる。そう、漫画にあって、アニメにないのは「周縁」なのだ。ハリウッドのように徹底的にマスに奉仕する「少年ジャンプ的」世界を中心だとするならば、はるか外縁には俗に「ガロ的」といわれるような実験的な漫画が存在する。その世界の広さが、ただ「漫画」という一点で共通のフィールドに存在していることで、雑誌も作者も読者も、さらには書店も自由に行き交うことが可能になっている。それが漫画というジャンルにダイナミズムをもたらしている。そんな新鮮なダイナミズムをもたらす周辺をアニメは持ち得なかった。それは偏に漫画とアニメの産業構造の差によるところが大きい。アニメが集団作業であり、漫画と比べてはるかにコストがかかるメディアだ。ファンの少ない「周縁」的作品が成立するのは難しい。(でここからがポイントなのだが)では、アニメが「周縁」の不在による袋小路を避け、ダイナミズムを安定して得るにはどうしたらいいのだろうか。それを最短距離で実現するならばコミックのアニメ化は有効だ。有名原作をアニメの「周縁」として活用することで、アニメのファンのすそ野も広がるし、取り扱うテーマや題材も広がることができる。

そのあと、「有名原作を使い、ドラマなどを見ている層にアピールしようと試みた作品」が、いわゆるアニメ発の企画と違い、アニメの外側に「飛び地」を作るような作用をなし、そしてそのことがアニメの「すそ野」の形成に役立てば、アニメはもっと豊かになる、と結論付けているわけだ。

長い引用になったが、確かに去年を振り返れば、「ハチミツとクローバー」や「パラダイスキス」、「BECK」など、完成度が高い上に人気の側面でも試みとしては成功したといっていいだろう。ただ、それはあくまで少数にすぎず、むしろその影響がどこに出たかというと、「原作」を使うことで、アニメ企画自体のコストをなるべく下げるように作用したように思える。冒頭にも書いたが漫画だけでなく、ラノベもあればゲームもある。パチンコが原作のアニメまで現れた。とにかく、原作人気の保証付き、ともなれば、なんでも使ってしまえ、と言えるような勢いである。あきらかに、とにかく企画に金をかけていない、労力をかけていないのが一目瞭然である。だからこそ、史上最多65本という数が成立するのだろう。

この傾向がアニメを豊かにするだろうか。そんな問いはもう愚問だろう。ただ数の多さに一般人のみならず、ファンでさえも引き気味な雰囲気がすでにもう漂っている。ほとんどが人々の記憶に残らないものとなるだろう。そもそも狭い「すそ野」もますます狭くなるだけに違いない。

別に「数」で「すそ野」を広げようとしなくていいのだ。
すぐれた、アニメオリジナルの、ファンも一般人も巻き込むような企画が一本だけでもあればいいのだ。そのためにはもっと企画にコストをかけるべきだ。

その試みが成功した場合そのたった一本の影響力、波及力がいかに絶大なものであるか、は、過去の名作と認知されているアニメ群がすでに証明している。


追記。主な反応リンク(ありがとうございます)。