エルフェンリート 4話「触撃」(公式)

あきらめと愛情と狂気

ルーシーと、ルーシー捕獲のために放たれたディクロニウス、ナナとの対決がメイン。鳥の声のSEなどが流れる情感あふれる舞台を背景に、展開されるルーシーとナナとの戦いは例によって淡々としていて実に奇妙だ。この「情感のある奇妙さ」が神戸作品の「萌え」と言ってもいいかもしれない。あるいは、萌え的な「意匠」を淡々と描けば描くほど(今回、入浴シーンやら裸が多いのだが)より「萌え」に近づくというか。それはあくまで神戸監督風の、という条件がつくのだが。
蔵間に従順なディクロニウスであるナナは、「ガンスリンガーガール」の少女たちを思い起こさせる。しかし、ナナは「ガンスリ」のキャラに比べ、ずっと「常識人」のように見える。ルーシーにしてもそうで、例えば、お、と思うのは、戦いを止めに入ろうとするマユを二人とも巻き込もうとしないところ。二人とも「わかって」いるのである。いや、設定上はどうなのかわからないが、そう見える。そこが非常に面白い。何らかの「あきらめ」、「絶望」を抱えているように見えるルーシー(「絶望」が一線を超えると一気に白痴的な「にゅう」の人格に反転するのか、どうなのか)。従順だが、人形的な「無人格」とも言い切れないナナ。そして、その合間にユカが、多少嫉妬の感情を爆発させるのだが、すぐ「あきらめ」に入ってしまう。
結局、ナナは戦いに敗れ、使い物にならなくなり、「処理」されるのだが、その描写を見る限り、蔵間のナナに対する愛情がちゃんと感じられるし、ナナも「処理」される直前で、(またしても)自分が「処理」されることを「わかって」いるかのようなセリフを言う。この「わかっている」感じは『コメットさん☆』でも見られたものである。蔵間とナナの関係は画的には痛々しく異常だが、そこには「ガンスリ」のようなあざとい「いたたまれなさ」はなく、極めてまっとうだ。むしろ、本当の狂気は角沢長官やその息子の方にあり、きちんと大人の描き分けができていた。