■本当に個人的なメモだったのに、zetialさんが反応してくれたので、また『ナデシコ』の話でも。
今ちょうど19話「明日の『艦長』は君だ!」のところなんですが、これが脚本/荒川稔久、コンテ・演出/桜井弘明で傑作。『ナデシコ』はキャラの魅力はあるにしても、基本的に脚本の面白さで支えている作品で、演出的には今一つという印象なんです。演出は脚本の後ろに隠れてるというか。佐藤節も多少はあるんですが、まだ完成されていない感じ。ここはちょっと「間」を入れた方がいいんじゃないか、と思えるシーンが何度かありました。それが今回もろに桜井節で、初めて演出が自己主張している感じがしました。そのせいで、艦長コンテスト(?)の部分がやたら目立つわけなんだけど、感心したのは、脚本も負けてなくて、コンテストの描写がナデシコ側の「日常」としてきちんと押さえられていて、「戦うだけ」の木星トカゲ側との対比になっていたこと。つまり、「戦い」が木星トカゲには「日常」で、ナデシコには「非日常」であること。で、ナデシコ側は「やっぱり日常が大事」と思ってること。さらにナデシコにとっての「日常」木星トカゲには「非日常」であること。何故木星トカゲにとって「戦い」が「日常」になるのかと言うと、過去の因縁による復讐心もあるかもしれないけど、「ゲキガンガー」の影響が強いこと。聖典になってるくらいだし。だから、『機動戦艦ナデシコ』の「日常」と「非日常(劇的なもの)」は「ゲキガンガー」によって媒介されている。その上でさらに、ナデシコ木星トカゲのあいだに、「自分には戦いしかない」(と思い込んでいる)スバル・リョーコを入れたのも上手かった。


今こんな脚本で感心する作品ってなかなかないですよ。しかも毎回脚本で好き勝ってやってるように見えるのに、キャラがちゃんと一貫してるし。そんな、昔は当たり前だったことで感心するくらい、今のアニメは回によって平気でキャラの性格が変わったり、連続性がなかったりして、「その場その場の瞬間風速的な面白さ」の方向に向かっている。それはそれで面白いとは思うし、否定はしないけど、出来れば一貫性というか、「連続ものとしての面白さ」も欲しいと、それが今一番足りないと、思ったりするのです。