「『映画的』ということ」(#10「物語性」と「演劇性」)

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Brush/8398/text2.htm

これまで「映画的」という側面で語ってきましたが、現在のアニメ作品は
ひとくちに「映画的」、「マンガ的」とは分けられない感じがあります。
特に大地丙太郎監督の『こどものおもちゃ』(1996〜98)、
ガイナックスの『彼氏彼女の事情』(1998〜99)などの作品あたりからそういう
傾向があります。ロケハンとレイアウト制が製作現場に浸透したことで背景はより
「実写的」になりつつ、キャラ表現は「リアル」であるとは限らず、
「マンガ的」だったり、「演劇的」であったりします。
いろんな「要素」、「手法」が「ごった煮」で、そういう「ごった煮」の方が我々は
「リアル」だと感じます。

これは一言で言い替えれば、「テレビ」的ということです。
「バラエティ番組」的と言ってもいいかもしれません。
たとえば『カレカノ』1話を観たとき、はっきりとそう思いました。

「バラエティ演出」と言ったとき、その「手法」はいくつかあるでしょうが、
ここでは一つだけ、ポイントになりそうな点に関して語っておきます。

それは「カメラ目線」の問題です。
劇中人物に向けられた「目線」のことではありません。
はっきりと「視聴者」に向けられた「目線」のことです。
これは優れて「演劇的」演出なのです。

ここで少し「演劇的」ということを話しましょう。

演劇には二つのコミュニケイションの方向があります。
一つは「横」のコミュニケイション。
舞台の上で役者同士がするコミュニケイションです。劇中人物同士の、
と言ってもいいです。「物語性」とも言えます。
もう一つは「縦」のコミュニケイション。すなわち、役者(劇中人物)と観客という
コミュニケイションがあります。これは「演劇性」です。

「縦」のコミュニケイションのレベルでの「セリフ」、「行動」は「横」の
コミュニケイション=「物語性」のレベルだけで観ていると、混乱する場合があります。
キャラが、とてもキャラの心理としてはおかしい「行動」をしたり、「セリフ」を
言ったりすると感じられるのです。
たとえば、「セリフ」を言いながら客席のほうを振り向くといった芝居。
観客の方を振り向くことで、観客はこの人物(キャラ)が自分たちのことを
ちゃんと意識していると知ります。その「セリフ」も観客に向けられた「メッセージ」
である場合が多いです。
自分たちのことを無視して演技しているわけでも、独自の物語に入っている
わけでもなく、自分たちのコンディションを考え、自分たちをエンタテイメントする
という意識がある人なんだと、自然に理解するのです。
これはテレビのバラエティ番組で言えば、「客いじり」と呼ばれるものですが
それ以上に、観客が、別の世界で展開されるであろう物語を、まるで自分のことの
ように感じやすくなるという効果があります。
これは歌舞伎の世界では当たり前のように行われています。

この二つのコミュニケイションの「構造」がアニメ(「映像」全般と言ってもいい
ですが)に持ち込まれた場合、わかりやすい例をあげれば、キャラが「カメラ目線」
で視聴者に話しかけるシーンで、そのキャラにたいして、(劇中で)
「誰と話してるの?」という「ツッコミ」が入るというものです。

ですが、問題にしたいのはその「ツッコミ」すら入らない場合です。

実例を挙げます。
コメットさん☆』第36話「みんなの王子さま」の中にあります。
大筋は省略しますが、ムークの画策で、王子様候補から外れたイマシュンと
コメットさんをくっつけようとするメテオさん。イマシュンのライブ会場が
「舞台」となります。イマシュンとコメットさんは「舞台上の役者」、
「観客」は視聴者である我々です。つまり、イマシュンとコメットさんは
「横」のコミュニケイションのレベルにあります。

コメットさんが会場にやって来たとき、
それを見たメテオさんは
「やっぱり来てたのね、コメットちゃん」と言いながら、
なぜか正面を向きます(「カメラ目線」になります)。

「物語性」だけに忠実であれば(あるいは「リアル」な芝居としては)
ここでメテオさんが正面を向くのは不自然です。
ですが見ている我々は「不自然」には感じません。
ここに、メテオさんと我々との間に「縦」のコミュニケイションが成立している
からです。わかりやすく言えば、メテオさんは例えばワイドショーの「レポーター」
的な位置にあります。

もう一つ。同じく
コメットさん☆』、第39話「サンタビトになりたい」。
ラスト近く、コメットさんは「プレゼント」と称して、「巨大リボン」(?)を
夜空に掲げます。そしてこう言うのです。

どこかでこの空を見ているひとへ
わたしと同じ気持ちでこの空を見ているひとへ
星の輝きを、プレゼント

ここでは「横」のコミュニケイション(「物語性」)と
「縦」のコミュニケイション(「演劇性」)の両方が、「セリフ」として表されて
います。そしてコメットさん自身は正面を向きませんが
空にかかる「巨大リボン」が正面を向いて描かれるのです。

「物語性」と「演劇性」。
その二つを組み合わせて「作品」を作るということはとても難しいことです。
失敗すれば、「作品」が視聴者に媚びを売っているようにしか見えないことに
なります。視聴者をもてなすのではなく、視聴者にすがってしまうのです。
これが成功した場合のみ、「作品」と「視聴者」とのあいだに「幸福な瞬間」が
訪れるのです。
(2002/01/13記)

2007年現在、アニメのほとんどがネット文化に煽られることも手伝って、より「バラエティ番組」化している。