ファントム・ペイン

あなたは愛する人と電車に乗っている。やがて、愛する人の住む駅に着き、愛する人はホームに降りる。あなたはついていきたいと思う。すべてを捨てて、ついて行きたいと思う。その時、あなたが強く思った時、世界は分裂する。ホームに降りたあなたとホームに降りなかったあなたの世界に分裂する。それをパラレルワールドという。もちろん、ホームに降りなかったあなたは、ホームに降りたあなたの存在を知らない。ホームに降りなかったあなたは、降りなかった自分を責める。けれど、もうひとつの世界では、あなたはホームに降りている。
もうひとつの世界のあなたは、ホームに降り、愛する人に駆け寄る。そこから始まる別な物語を、ホームに降りなかったあなたは知らない。

けれど、想像することはできる。二度と会うことはないもう一つの世界の自分が何を感じているのか、ホームを駆けながら何を思っているのか。想像することはできる。

若者は、可能性の選択肢が多い、いや、「可能性」しかないがゆえに、選択肢、分岐点の先にあるものを想像することができない。「可能性」しかないがゆえに、全能感に酔うと同時にその「可能性」の多さに過剰な不安を抱く。
年寄りは、多くの「可能性の選択肢」を捨ててきたがゆえに、あるいは捨てざるを得なかったがゆえに、未来は限られるが、「可能性の選択肢」を捨ててきたがゆえに、過去に捨ててきた「可能性」、「分岐点」の果てにある世界を、「想像すること」はできる。選べなかった人生を、想像することはできる。年寄りになってから想像することができるかどうかは、「若者」であったときに、「無根拠な自信」を信じ、出来る限り「可能性の選択肢」すべてを手に入れようとしたかどうかで、決まる。その経験値の蓄積によって決まる。

ファントム・ペイン
ファントム・ペイン鴻上 尚史

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