第14話『星国の七夕伝説』

■「良心的」イメージそのもの


今回は作りとしては一番バランスが良いんじゃな
いでしょうか。
テーマ的に特に重みがあるわけでもなく、ドラマ
的にも無理のない流れ、夢と日常が「地続き」な
景太朗パパ、ちょっとだけ現実的な沙也加ママ。
純粋に思いつきだけで行動するコメットさんと、
まんまとのせられてしまうメテオさんの典型的な
反応パターン。
13話までに積み上げてきたもので無理なく、構成
した、という感じがよく出ています。ラストの収
め方(パパとママの仲直り、コメットさんに会い
に来る星の子たち)も『コメットさん☆』独特の
「ファンタジー」で「日常」を包む語り口(テイ
スト)で、とても心地よいです。

コメットさん☆』が、一般的に「良心的」な作
品、と思われているイメージそのもの、という気
がします。


■「星の妖精」、コメットさん


今回、沙也加ママが使っていた掃除機を見て、空
の雲を吸い取ることを思いついた(らしい。直接
は描かれてない)コメットさん。掃除機を抱えて
飛び出すところが実に微笑ましいのですが、コメ
ットさんはラバボーが言うとおり、いいかげんで、
思いつきで行動する。まるで何もとりえのないよ
うな言い方ですが、その、無垢な思いつき、気持
ち、行動そのものが「魅力」であり、それが彼女
の「輝き」だったりするわけです。

実際に物事を解決するのはたいていメテオさんだ
ったりするので、その気持ちと行動そのものに重
点があります。だから、純粋すぎてたんなるいや
がらせになったり、押しつけになったりすること
も当然あって、にもかかわらず、コメットさん自
身はそのことからあまり学んだ様子がない。

どうやら、「良い悪い」ふくめて、「無垢さ」
そのものを描こうとしているらしいのです。
それが直接物事を解決するわけではなく、他
人を動かす(揺さぶる)力を持っていて、そ
のことで間接的に物事を解決する。それがコ
メットさんの「輝き」です。

もしかしたら、そういう意味で、(メテオさんと
は違う)「女王」的資質がコメットさんにはある
のかもしれません。

だから、「成長」とはちょっと違うような気がす
るのです。

富野由悠季氏の『映像の原則』のなかに、
「物語を語ることは『過程を語る』ことです。過
程にはどうしても時間が必要になり、語るべきも
のに時間とともに発展性があるからこそ、おもし
ろさを創出できると断言できます。
観客はこの<発展性=おもしろさ>を要求しま
す。変化と理解していただいてもよいでしょう。
ですから、昔から成長物語が好まれているという
のは、短絡的かもしれませんが、まちがいではな
いでしょう」(第2章 物語が時間を乗り越える)
とあります。

つまり、キャラの劇的な発展性、変化のカタル
シスが気持ちがいい、ということだと思います
が、『コメットさん☆』という作品は、劇中で成
長云々の言葉が使われていたとしても、どうもい
わば違うカタルシスを描こうとしているような気
がしてしまうのです。

ヒントはやはり、コメットさんは人間では
なく、「星の妖精」なんだな、というこ
とでしょうか。


■「お約束」ループコント


冒頭にも書きましたが、中盤から後半にかけての
コメットさんとメテオさんとのやりとりの流れは
「お約束」となり始めたばかりなので当然、「マ
ンネリ感」のダレがなく、何度観ても気持ちがい
いです。

「お約束」は2度くり返されます。
掃除機を抱えてメテオさんに助けを請うコメット
さん。メテオさんは嫌がりますが、王子様である
イマシュンがどこで見てるかわからない、とムー
クに諭され、態度をがらっと変えて、協力的にな
る。そして、パニッくんの兄とのミニコント。
これが1回目。

雲の上にあがれば、イマシュンの目も届かないと
わかったメテオさんは急にやる気をなくしますが、
イマシュンはツアーのため今頃飛行機のなかと判
明した瞬間にそれこそ「お約束」で飛行機がやっ
てきてあせり、ムークに雲を吸い込ませ、勢いに
のって、コメットさんと競い合う、メテオさん。
これが2回目。

で、終わってみれば、またコメットに利用された
と悔しがるメテオさん、(そして、まあいいわ、
と微笑む)というパターン。

この最後の雲の上の夕暮れシーンが実に美しいで
す。特に一番星が見えるカット。コメットさんが
乗る、巨大掃除機のホース(パイプ)部分がその
まま三角構図の一辺になって、それを挟んでラバ
ボーとムークの2つの「丸」、そして、右上より
に一番星。シンプルで美しい構図です。

今回に限らず、『コメットさん☆』という作品は
夕暮れのシーンがとても印象的です。


以上、とりとめもなく書いてしまいましたが(毎
回似たようなものですが)、今回は本当は「かい
せき」の必要もないくらい(笑)まとまりの良い
話なわけです。(2002/05/28記)