レビューのために買う

http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2006/09/post_f1fc_7.html

「ひょっとしてブログでレビューを書くのが目的でフィギュアを購入しているユーザーもいるのでは?」という指摘。だから発売直後は勢いが良くても、長く売れる商品(あるいはキャラクター)が減ってきているんじゃないだろうか。
「レビューのために買う」というのは、毎日食べたものの写真をブログにアップする感覚に近い。出来れば毎日レビューしたいわけだから、長持ちしなくても品数が多いほうがいい。アニメがいっぱい放映されたり配信されたりしているのも、似たような理由かも知れない。つまり、フィギュアを買ったりアニメを見たりするのが生理になってるの。
食べ物の記録をつけたい人は、なるべく色んなお店で毎日違った食事の写真を撮りたいわけだよね。だから、どうしても雑食性になる。アニメも同じじゃないの? 

そして、そういう生理の中で「なかなか美味い」とか「ちょっとイマイチ」とか線香花火的な感動は絶えず起きている。「まずかったから、金返せ」って気分にはならない。まずいならまずいなりに、ネタにはなるじゃない。
熱狂的『エヴァ』ファンだったメグロくんが「新作映画が決定したのに、意外にみんな大騒ぎしないんだね」と怪訝な顔をしていたけど、そういうお前も、やけに冷静じゃん、と。つまり、歴史的・記念碑的アニメをみんな求めなくなったのかも知れない。
メルクマールは、個人の生理の中にあればいいんだよね。「日経キャラクターズ!」が休刊したのは「オタク文化全体を俯瞰で見渡す」ことに意味がなくなったからでもあると思う。今は携帯電話みたいに、それぞれのポケットに入る作品さえあればいい。ちょっと前まで俺も「アニメの本数が多すぎる」とほざいていたけど、逆に多くないとけいないんだよね。雑食するためには。

昔、俺もアニメの本数が多すぎるって批判して、まあ、いろいろ突っ込まれたけど(笑)、どうやら様子が違うことに気付いてきた。線香花火的な感動は起きているのは確か。俺は古い人間だから、もっと、大潮流的なムーブメントというか、お祭りをつい求めてしまうんだけど、今はそうじゃないのね。要するに「ネタ」としてあればいいんだ。それが悪いことなのか、というと、ちょっと違うのかな。「祭りに(それも線香花火的な)乗っかる」という言い方をよく見かけるけど、今はもうそうなんだろう。好意的な解釈をすると、ライブ感に乗っかるのを楽しむみたいな?