「普通のアニメ」はどこにあるか、そして「突出したアニメ」はどこにあるか

たまたまヒマなので普段思っていることを長々と書いてみよう。

今月(ニュータイプ12月号)の藤津亮太さんの「アニメの門」のことなんだけど、正直、苦しい文章だな、と思いつつ、内容としては乱暴にまとめてしまうと、「『普通のアニメ』のすそ野の広がりがあってこそ、先鋭的、過剰な作品が成り立つ」みたいなニュアンスだったと思うんだけれど、個人的に思うのはもはやどれもが普通じゃないか、以前書いたアニメが(感想サイト等で)コミュニケーションのツールになってしまっているのも、ほとんどのアニメが「普通」になっているからじゃないのか。オタクの一般化とも言ってもいいけど、そのすそ野の広がりはすでに達成されているんじゃないのだろうか。問題は放映時間が深夜だったり、放映形態が多種多様だったり、地方のと落差があったり、問題は残っている。それでも、各作品の内容を観てみれば、どれも普通ーじゃねーか、としかいえないものばかり。その上で、突出した過剰なものがあるとすれば、TVシリーズものにたまに現れる(特に作画面で優れた)ものだったりする。それはそれで悪いことじゃないし、現状では仕方がないのかもしれないのだが、個人的にはシリーズ全体として突出した作品がなかなか現れないことだ。かつては子供向け作品で大人が観ても唸るような回があった。そういう時期があった。だから、自分が「子供向け」が好きだというのはそういうことなのであって、単なる子供向けはそんなに好きじゃない。

さて、ここから言い訳じみた話にもなるかもしれないが、そんな意味で、「交響詩篇エウレカセブン」を自分は応援したくなっている。あれは駄作であると早々に決めつけた意見もあることも知っている。確かに、辻褄があわなかったり、???と思うところもある。「エウレカ」に最後まで付いて行こうと思ったのは、評判の良い、レイ・チャールズ編ではなく(確かにこれも後押しするエピソードであったが)、その後の29話。エウレカの正体があらわになる回だ。この回も突っ込みどころが多いとは思うし、謎解きにしてはあっさりしすぎという感想も見かけた。だが、逆に、そのあっさり感が、レントンエウレカの絆にはどうでもいいことなのではないのかと、感じたのだ。2クールの長過ぎる二人のすれ違いと鬱屈を経たからこそ、いまさら、エウレカがどんな存在だろうと、僕にはエウレカエウレカだもの。このレントンのセリフを聴いたときには非常に感心した。そしてこれからも紆余曲折あるのかもしてないが、この物語を最後まで見届けようと思ったのだ。

僕は作品として完全なものより、どこかバランスを崩してたり、不完全なものが好きだ。
それは、単に手を抜いているから、そうなっている、ということではなくて、破たんしながらそれをスタッフが何とか立て直そうとあがいている姿勢が好きなのだ。

アニメ感想サイトを始めたきっかけとなった「コメットさん☆」がまずそうだった。作り手が明確に意識してるかどうなのかはわからないが、後半の展開ははっきりと破たんしていて、それをなんとかまとめようとする力を感じた。「コメットさん☆」は別に優れた作品だと言うつもりはない。むしろ不完全さを強引にまとめた結果生まれたものが非常に魅力的だったのだ。別の例を挙げよう。比較的最近だが「レジェンズ」という大地監督のアニメがあった。これははっきり作り手が作品の破たんを自覚していて、七転八倒しながら完結させた作品だ。さらに最近では富野監督の劇場版「機動戦士Zガンダム」もそうだろう。

そんな上記の理由と、個人的な事情から、かなりのアニメ作品を見切っている。
たとえば、ほぼリアルタイム(毎回)観ているものは、

交響詩篇エウレカセブン
ガン×ソード
魔法少女リリカルなのはA's
ノエイン もうひとりの君へ
うる星やつら(再)
絶対少年
銀盤カレイドスコープ
おねがいマイメロディ
デュエル・マスターズ チャージ

そして録り溜め中で観てないもの、途中で止まっているものは、
機獣創世記 ゾイドジェネシス
金色のガッシュベル!!
蟲師

といったところだ。

とにかく、ここに来て僕は「エウレカ」にハマった。3クール目はまだ色々寄り道できるかもしれないが、最終4クールに入ればそうはいかない。伏線、謎、破たんをどう回収して、上手く着地できるか、それを僕はワクワクしながら待っている。