アニメ映画の棲み分けの明確化

今月のニュータイプ6月号、藤津亮太氏の「アニメの門」より。

今アニメの映画は「プログラムピクチャー」と「作家の映画」の棲み分けが明確になっている。それがアニメ映画が一皮むけない一因でもあるのだろう。

あまり大昔にまで遡っても仕方がないが、60年代〜70年代までは、いわゆる「プログラムピクチャー」的なTVアニメが多かったように思う。「テレビまんが」という呼び名がそれだ。で、おそらく70年代後半くらいから、子供向けの皮をかぶって作り手の作家性を主張する作品が同時多発的に現れ始めた。その「作家性」に魅力を感じたファンたちと、作り手たちとのいわば共犯関係によって、アニメでも(アートアニメとは違った)「作家」の作品が成立する土壌が出来、実際に多くの作品が生まれ、その傾向は永遠に続くかのように思われた。が、90年代〜2000年代に入り、作家性の強い作品を作ってきたスタッフの高齢化と伴い、アニメは原点回帰(?)の子供向けに戻ってしまう。それでも、作家性の強い作品を作ってきた先達者たちの影響か、映画を撮りたかったのに、たまたまアニメ業界に入ってきてしまった者たちなどが、また、子供向けの作品で「作家の作品」を作ろうと実践した。いちファンの私としてはごくたまに現れるそんな「事態」が好きだった。私が主に子供向けアニメを観る理由はそこにある。例を挙げれば、「どれみ」や「デジモン」の細田守演出回だったり、神戸監督の「コメットさん☆」だったり、小寺監督の「ボンバーマンジェッターズ」だったりする。今後もそんな作品が現れないかとずっと待ち構えていた。だが、なかなか現れない。

それどころか、最近のTVアニメは純粋な意味での「プログラムピクチャー」になってしまっているように思える。そして「作家の映画」はそのまま映画の世界に行ってしまったように思える。「プログラムピクチャー」的には非常に華やかにも見える今のアニメ状況だが、「プログラムピクチャー」的TVアニメに、「作家性」を見いだすこと、発見することを喜びとしていた自分としては、非常に残念だ。