エルフェンリート 1話「邂逅」(公式)

エルフェンリート 1st Note [DVD]
とりあえず初回なので思い付くまま印象を。

美しい残酷さ、血の色

冒頭、ルーシーの大殺戮シーンがこれでもかと続く。手足がもげ、首が飛び、内臓が吹き出る。飛び散る血、血。その血が何故か美しい。思わず、クローネンバーグの「戦慄の絆」や、キューブリックの「シャイニング」を思い出す。極めてスタイリッシュで上等な演出で作られたホラー映画に似た匂いがする。ここで(「ベイブレード2002」のコンテで初めて発見した)神戸守の超客観的クール演出が存分に発揮されている。そこには例えば「エヴァンゲリオン」のネルフ襲撃シーンにあったような陰惨さはない。描かれていることに「意味」がないからだ。あるのはただ淡々とした「殺戮」だけだ。あえて意味づけするとすれば、それが、ただなんの感情もなく殺戮を繰り返すルーシーのキャラ表現になっている、ということくらいだろう。

お得意の実写的風景演出

神戸作品定番の鎌倉に舞台は切り替わる。お得意の徹底したロケハンによる、日常風景演出である。その後、海岸でコウタとユカは”にゅう”になったルーシーと出会う。

キーワードは「二面性」

まずなんといっても、殺戮者のルーシーと無垢なにゅうの二面性。殺戮と日常の二面性。リアルな背景に「異物」として際立つ萌えキャラ。にゅうの、失禁する直前の萌えキャラらしからぬリアルな芝居。萌え記号としてのにゅうの角がやけに異質感がある。かといって「萌え」を否定しているようにも見えず、茶化しているようにも見えず、「萌えアニメ」として作ろう、という計算打算あざとさも見えず、不思議に鎌倉の風景になじむキャラクターたち。リアルな風景と萌えキャラの二面性。そして今後物語にかかわってくるであろう、にゅうを(おそらく)守る、受け入れるコウタと、ルーシーを狩る者としてのSATの坂東、の二面性。それら数々の二面性の対比、絵画的な発想によるコントラストが、おそらく、この作品のテーマなのであろう。

かつて「コメットさん☆」もそうだったが、1話の時点で作品の狙い目がはっきりしている場合、その作品はまちがいなく名作になる確率が高いというのが、私の自説である。「エルフェンリート」は1話の時点で、その狙い目がはっきりしている。

そんな予想をして、2話以降の物語を観ていこう。


参考:他サイト1話感想
杉の木工房
http://www001.upp.so-net.ne.jp/tsugita/anime/elfenlied.html#20040725
至好回路
http://www12.plala.or.jp/sikoukairo/kanbe_elfenlog.htm#0725