同じメデイア内での世代間闘争

まあ、このメデイアって主にアニメのことなんだけど、ニコ動なんかでゆとり差別騒動を見かけて思うのは、アニメの歴史を振り返れば膨大な知識の蓄積がもうすでにあるわけで、ゆとりと差別されるにしても、若い人はとてもじゃないけどその膨大な知識を「勉強」をするには非常に面倒だし、諦めの気分もあって、そんだったら、非難されてもはっきり言って嫌な思いをしつつ、それでも楽しみたいとは思ってるんだろうと思う。自虐的に、自分はゆとりだから、というコメントも見かけるようになってきたし、これはかつての「おたく」とまったく変わってない。

俺はマニアではないんだけど、昔からのアニメの進化の歴史が自分の成長の歴史とシンクロしてたので、アニメの進化が進む過程で、楽しみながら知識が自然に体に染み付いたところがあって、ある意味幸福だったな、とは思うけど、ここで若い人が、たぶん、最近はアニメが見かけ上盛り上がってるらしいから、そのままニコ動でコメントしたりブログで取り上げたりしても、すぐに叩かれたりする。それはしょうがなくて、ちょっと前までは俺も過去の作品を観て「勉強」しろといっても、一部の若くしてマニア志向の人間は別として、昔の作品はその当時の時代背景の影響を少なからず受けているわけで、今の時代の感覚から見て楽しめはするんだけど、限界はあるだろう。

やっぱり今の時代感覚で楽しめる方が、若い人には「娯楽」として(最大公約数的には)合ってるんだと思う。でも年寄りおたくは過去の経験から察するに、若いクリエイターがやる表現は過去にすでにやられていると非難するんだけど、若い人はそれを知らないし、過去の同じような表現も時代性の差でテイストが違ったりするから、あながち非難できないんだよね。

もちろんちょっと前までは俺も最近の若いオタクはヌルイ、駄目だなとは思っていたんだけど、若い人が好きなパターンもそのうち時間が経てば変わってきて、そのままではいられなくなってくるから、結局は俺らがアニメ進化の過程で考えが変わってきたのと同じ事がたぶん起こると思う。「時間」には逆らえないのよ。これは、もうすでに起こってるんじゃないかな。

でも、これからもたぶん若い人がアニメの世界に入ってくる以上、作り手でもファンでもいいけど(これはアニメがコミュニケーションツールとしては最適だったりするからだけど)、年寄りファンも抜け出せないんで、世代間闘争は絶え間なく続くと思う。

そろそろ結論。この世代間闘争が絶えず繰り返されるのは、たぶん同じ(アニメという)メデイア内だからだと思う。

例えば若い人が、ラノベなり、ゲームなり、マンガなどの他のメディアだけで自分たちの存在を主張しているだけなら、メディアが違うだけで、年寄りアニメオタクは、「オタク」というカテゴリで考えれば「堕落した」と捉えるかもしれないけど、頭が良い年寄りアニメオタクは割り切って、関係ないね、とも思うかもしれないけど、それだと将来的に老人向けの癒しものだけになってしまう可能性もあって、ぶっちゃけそれでアニメは終わってもいいかもしれないなあ、とは感じるけど、それだとただボケてしまうこともないとは言えないので、やっぱり新しい血を入れて、それをちゃんと換骨奪胎して新しいアニメの表現が生まれた方が健全だとは思いますね。昔の黄金期のアニメは凄かったからその再現をするのはやっぱり回顧主義だとは思う。

最後に現状について、別の見方をすると、制作側が他メディア作品を(つまり原作物を)なんでもかんでもアニメメディアに変換してしまうから、アニメオタクの世代間闘争に拍車をかけてるような気がします。


追記。まあ、自分でだからなんなの?と突っ込んでおきますが(笑)。所詮愚痴だろ?
そのとおりです。