第23話『ヒゲノシタの輝き』
■「輝き」の多様性
今回は18話『戦うロボ』のように教訓話であり
ながら、それを脚本のおけや氏独特の、言葉の連
想を「ドミノ倒し」のようにつなげていく書き方
で上手くいった例だと思います。これまで、20〜22話までで「恋」も「輝き」で
ある、という一応の結論が出たわけですが、今回
はそれをテーマ的に発展させ、俯瞰した視点から
「恋」は「輝き」の一つにすぎず、「輝き」とは
もっと多様なものだ、という話です。
言い換えれば、「恋力」はそのまま、「星力」の
替わりになるわけではない。「星力」も多様な種
類がある。前回ヒゲノシタがやたら「恋力」に否
定的だったその理由が今回のテーマの中心です。星人(ホシビト)は「星の子たち」の様々な「輝
き」を受けて生きている、だからそのことを忘れ
てはいけない。そして「星の子たち」に思いを寄
せることで「星の子たち」も元気になる。星人と
「星の子たち」の信頼関係。「輝きの循環」。この「星人」と、「星の子たち」の関係を、地球
上に置き換え、「命あるもの」のバランスの大切
さ、さらに「偏ったバランス」としての「食わず
嫌い」と、具体的な描写にしたのがすばらしいで
す。教訓話だとしてもそのアプローチの仕方が無
理なく、笑いもあって、強引さはありません。
劇中での言葉の「連想」のつなげかたとしては、
ツヨシくん、ネネちゃんの「食わず嫌い」。
「願望」としての、甘いお菓子だけのお弁当。
↓
「子供の願望」を叶えるコメットさん。
料理も「星力」に頼ってしまう。その「星力」も
「恋力」で代用する。
↓
犬(ヒゲノシタ)に「甘いもの」を食べさせては
いけない。
↓
お年寄り(ヒゲノシタ)は「甘いもの」が苦手。
↓
地球上では「星力」不足で弱っているヒゲノシタ
(お年寄りの星人)には「恋力」は「星力」の代
用にはならない。
↓
「恋力」=「甘く、楽しい」だけの「輝き」。
「甘い」ものは取りすぎると体には「毒」。
↓
「『苦い』ですかな? 爺の言葉は。苦いから
『いやだ』と捨て去りますかな?『甘い』ものば
かりを口にしているほうが、楽しくていいですか
な?」
↓
ヒゲノシタの「輝き」は「苦い『輝き』」。
↓
「輝き」にも様々な種類がある。
様々な「輝き」のバランスによって、星人は生き
ている。
↓
(地球上に置き換えて)
様々な「命」のバランスで世界は成り立っている。
人が口にする「食べ物」にも様々な「命」の「輝
き」があり、偏ったのもばかりだとバランスを崩
してしまう。
↓
ツヨシくん、ネネちゃん、「食わず嫌い」をちょ
っとだけ克服。
となります。
こうして「流れ」を作ってみると、「輝き」の多
様性とバランスをツヨシくんネネちゃんの「食わ
ず嫌い」話として描いたことがわかります。コメットさんはあくまで子供の願望を叶えるだけ
で、ツヨシくんネネちゃんといっしょにヒゲノシ
タに諭されます。コメットさんが自力でツヨシくんネネちゃんの
「食わず嫌い」を克服させるわけではありません。
今回の話にはヒゲノシタが不可欠なのです。
それは、ヒゲノシタ自身が「事件」のきっかけを
作る当人であり、「テーマ」を語る当人だからで
す。つまりそこには、実は「ドラマ性」は希薄
で、例によって、言葉の連想による、「語り」
があるだけです。構造としては、15話『カゲビトの挑戦』や、18
話『戦うロボ』で指摘したことと変わりません。
ただ今回の話がすばらしいと思えるのは、その
「語り口」が極めて「鮮やか」だったからだ
ろうと思います。これは今回の23話を否定しているわけではあり
ません。念のため。(2002/07/13記)
この転載もそろそろちょっとまいていきますよ。