オタク魂

http://www.asahi-net.or.jp/~RG8S-SZK/hobby/NIKKI/2005/200511.html#2829_7

抱えきれなくなると「物」を捨ててしまう自分にはオタクの資格がない。
本物のオタクは、収集した「物」をストックするのに必要な物理的空間を所有している。そのための経済的な基盤があるということだ。
「物」に対する信者がオタクだとすると、オタクは「物」の中に物以上の物を求めていることになる。
「物」に対する信仰が深まれば深まるほど、その対象が大量生産された「商品」であったとしても、オタクは他人の所有している同じ「物」との差異を求める。
その当然の帰結として、真のオタクは、クリエーターが「物」に生命を与えるように、アニメーターが一本の線に生命を吹き込むように、収集した「物」に自分の魂を与えようとする。そして、与えられた「物」だけで満足できないオタクの魂によって形成された市場のひとつがコミケなのかもしれない。
80年代のアニオタは、ベータ機を当然のように所有し、最高画質で録画したテープのコレクションを誇っていた。80年代の自分は、VHS機で高いテープ代に負けて3倍録画していた。
80年代のオタクはセル画を盗んだ。今のオタクはデジタルデータに還元されたアニメを盗む。
魂の抜けた、データに還元された「物」に群がる今のオタクは気持ち悪い。
そして、魂のない「萌え」を濫用している自分自身が気持ち悪い。

なかなかの名文だったので、引用させていただきました。