selector infected WIXOSS 総括

前記事selector infected WIXOSS 第12話(一期最終話) - トボフアンカル・ミニ・メディア(T:M:M)大幅加筆。





とりあえず一期の最終回の総括を。なぜ自分がこの作品に久々に執拗に拘ったかは最後に書く。

まず物語的な感想。るう子自身のこれまでの知識や経験から、彼女がすべてのルリグ、セレクターの呪いを解放する、という願いを持つことに到達したものの、伊緒奈の願いが、結局るう子のルリグとなって戦いを楽しみたいことらしいとなれば、それはもはやるう子を含めた他のセレクター、ルリグの考えを超越している次元のものであって、るう子にはもはや太刀打ち出来るものではない。しかもるう子に感化され、さらに監獄的な不思議空間のマユとの会話で逡巡するタマは姿を消し、その位置にルリグとなった伊緒奈が居座れば、いわばタマとは違ったえげつない方法でるう子をバトルにかり出す存在となるのだろう。このえげつない展開はまさに岡田麿里らしい。不思議空間でのマユと伊緒奈、伊緒奈のルリグであったウリスとの関わりは不明だが、彼女たちはマユが語るような非常に曖昧なルリグとセレクターとの理を犯す存在なのかもしれない。

WIXOSS」のゲームルールを説明しなくとも、その「一般に人気がある」という設定、ふつうに流行っている前提の上での、特殊な文字通り選択者「セレクター」の「3回勝てば願いが叶う」、それが絶対の条件ではないと後出しされるわけで負ければマイナスに願いが作用する。セレクターがルリグ化した後、ルリグと契約した後にたどり着く謎の少女マユの孤独な世界での対話が行われるわけだが、マユの物言いは煙に巻くことが多く、結局は納得出来ないユヅキにも友人である、るう子や一衣にもはっきりとは説明出来ない。

ゆえにルリグ、セレクターの関係についてより知っているらしい、伊緒奈のバトルにるう子は乗ってしまうわけで、願いは確定したももの、曖昧なセレクターのルールの中で、無根拠の自信(友人を助けたいという強い願いがそこを補強し)かといって無根拠なだけに自信が持ちきれずにブレ、伊緒奈にすがる気持ちもあったかもしれない。つまり無理もないがバトルの快楽を資質的に持ちつつ、るう子にはバトルに無心に徹することが出来ない。

伊緒奈の過去にはまだ謎が多いが、セレクターを闘技場に集めた時点で、都市伝説なセレクター幻想に惑わされることなく、今までのバトルの結果の分析から、伊緒奈がるう子のバトルに最終的に負けたらしいにもかかわらず、ルリグ化した伊緒奈は望み通り自分より強いセレクターのるう子のルリグとなり、繰り返しになるが、タマとは違った、陰湿でえげつない方法でるう子をバトルにかり出す存在となるのだろう。るう子はそれでも友人を助けるために不本意ながら伊緒奈に騙されしたがうのか。それともユヅキ、一衣、ユヅキに成り代わった花代さんの何らかの協力があるのか。

前々回の記事で一期のラストはわりと漠然としたラストになるのでないかと思っていた。もちろん、まだ世界観は曖昧な部分があるわけだけれど、とりあえず一期全体で言ってもこちらの妄想を刺激してくれたし、すでにアニメ二期の告知がされたので、完結までの引き延ばし感はありつつも、それほどこのラストに不満はない。元々1クールでは収まらない話だと思っていたし、こちらの予想を良い意味で裏切ってくれて大変嬉しい。二期がますます楽しみである。


もう一つ、視点を変えて、スタッフの目論みを邪推すれば、伊緒奈の、アニメ内及び現実でのTwitterのツイート等、作品外部の「WIXOSS」ゲームを巻き込んでの展開(ゲームしか知らない側からのアニメ二期へのフィードバックもあるかもしれない)も、いわゆるメディア・ミックスからすればそれほど目新しい気はしないし、自分のような年寄りからすれば色々思うこともあるけれど、若い人、まあ若い人間だけではないかもしれないが、特にTwitterでやり取りする(非常に速いペースでネタ的に楽しむ)には昨今すでに当たり前で、さらに、インターネットラジオ配信サイトの「音泉」で「セレクター」のラジオ(http://www.onsen.ag/blog/?p=35359)も7月から始まるらしいし(どうして一期前から始まらなかったのか、と思うが)、割とマイナーだった一期から、スポンサーの「WIXOSS」も売れ、アニメパッケージについては二期までの視聴者の興味を途切れさせないためかもしれない。その他色々な仕掛けもあるようで。
ちなみにhttp://www.norainu-jiji.com/news/hp0001/index07960000.html
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ご苦労様です。


前々回の記事で(http://d.hatena.ne.jp/tobofu/20140615/1402828937

視聴者も妄想の着地点を見つけられずに不安なまま放置されることになるだろうが、それがストレスのままで終わるか、良い意味で視聴者側で勝手に発展していくか、さらにはそれらが作品側に回収されてアニメ二期に上手く繋がるような好循環を生むのか、個人的には良い方向に転がることを期待したい。

と書いたが、思えば、今のアニメビジネスが確立する前の、マニアや熱心なファンの働きかけによってスタッフもそれに答える黎明期の幸福な時代の発想であり、自分もその同時代に生き、思い出補正に乗っかってしまったことはあるだろうな、ちょっと安易な結論を出してしまったなと反省している(ただ、最近では「ストパン」の例があるからあながち間違いではないのだが、数少ないかも)。


selector infected WIXOSS」、また第二シリーズの「selector spread WIXOSS」にしろ(二期はまだ分からないが)、プロデューサーの意向が比較的全面に出ているらしい今作において、るう子の心情を「思春期の心情」とダブらせて表現する手法を取ったらしい佐藤卓哉監督のアプローチ(例えば11話でるう子が、おばあちゃんとるう子の母親との電話を偶然聞いてしまう。大人同士の会話ではそれほど特別なことではないのだが、悪いことにるう子のトラウマがバイアスになって、るう子視点では不穏な会話として描写され視聴者も同じように感じる演出はよろしかった)、一方、岡田麿里のシリーズ構成は、岡田麿里らしくえげつない話を展開するわけで、それも佐藤卓哉監督や川瀬プロデューサー、スポンサーであるタカラトミーもいて、たぶん、それぞれの立場を、そのやり方を認めただろうから、それぞれの才能を生かしつつそのどれかが「作家性」という名の独りよがりに陥らず、過去の強力な「作家性」で(主に監督が)引っ張って作られた名作群を必ずしも追い越せてはいないものの、ファンが満足出来るものをプロデューサーの意向にクリエイターが上手く答えた作品ではなかったか、と思う。しかも本作はジャンルとしては「カードアニメ」をヒントとしたとはいえ「オリジナルアニメ」で成し遂げたことは賞賛に値するといっていい。


6/29追記。
https://note.mu/tobofu/n/ne2cd6c9d5f71