富野由悠季×安彦良和対談(ガンダムエース 2009年 09月号)

GUNDAM A (ガンダムエース) 2009年 09月号 [雑誌]
GUNDAM A (ガンダムエース) 2009年 09月号 [雑誌]
角川書店 2009-07-25
売り上げランキング :

おすすめ平均 star
star真夏の太陽のように熱い一冊
star富野由悠季安彦良和ビッグ対談!!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

以下のサイト等でも取り上げられていて、
富野由悠季はガンダムを乗り越える - 未来私考
全文引用したいのは同感で、それくらい結構貴重な対談だったりするんですが、それでも個人的に良かった部分は引用してしまおうと思う。まあ、試し読み的な意味では許されるかな。出来れば全文読んで欲しいんだけど。

安彦 僕は、ガンダムというのは非常に大きな社会的、歴史的意味を持った作品だと思っています。例えばオウム(真理教)に与えた影響がある。さっき富野さんは、もう漫画ファン、アニメファンに対してという考え方を卒業しろとおっしゃったけど、卒業するもしないもガンダムの影響というのは、随分前から漫画やアニメの範疇を超えてるんだよね。もう二次的な影響さえある。村上春樹の「1Q84」という作品のベースにあるのはオウムです。あの世代になるとベースにマルクス主義はないんだよ。オウムなんだよ。そして、その奥には、どれくらいの影響力かは僕は知らないけど、ガンダムがあるんですよ。つまり、本来のサブカルのエリアを越えちゃったのね。なぜ超えたのかというのを、これから話し合っていきたいと思うんだけど…。


富野 その回答は簡単です。コモンセンスで作ったからです。


安彦 コモンセンス?


富野 少なくとも、ファーストガンダムはコモンセンスだけで作った。分かりやすく言うと、右翼でも左翼でもなくニュートラルを貫いたんです。朝鮮戦争までの戦争の図式に則って、それを反戦でも軍国主義でもなく、ただひたすらニュートラルを意識して戦争を描いた。だから僕の主義は一切ガンダムには入れてません。子供が見るかもしれないんだから、絶対に右にも左にもブレないという覚悟をもって作ったんです。


安彦 それは富野さんの覚悟であると同時に50年代、60年代という歴史の特殊性でもあると思う。たった10年なんだけど、50年、60年、70年というのは前後2、3年を含めて、それぞれ政治の転換点になっているんです。つまり、政治の時代なんですね。で、その転換点から外れた時期は戦間時代なんです。富野さんは全共闘世代でもなければ60年安保世代でもない。その真ん中にいる。ニュートラルになれるし、イデオロギーからも自由になれるんです。その2、3年の差で結構呪縛されるんですよ。僕なんかもろに呪縛されている。だから富野さんはコモンセンスという言葉をとても自然に言えるんですよ。これはものすごい世代論になっちゃうけどね。


富野 そういう世代だからというよりも、僕がそういう人だからなんですよ。僕はあまりものが考えられる学生ではなかったし、本も読めなかった。不勉強な学生だったからアニメの仕事にしか就けなくて、それで10年経って、自分が子供向けの作品を作らなきゃいけないという立場に立たされたときに、さあどうしようって初めて考えたんですよね。そのときに、ある文章に出会って、僕は命拾いをしたんです。それはこういう文章です。―「目の前の子供に向かって、あなたにとってこれはとても大事なことなんだよということを、大人が一生懸命話すことができれば、そのときに全部を理解できなくても、その子は絶対にその話を思い出してくれる」というものです。これに一つだけ条件を加えると、このことは今の君やあなたが知らなければならないことだ、気をつけなくちゃいけないことだという、その芯の話をすれば―です。そのときに子供に向かって話す大人の言葉は、右でも左でもない。時代論でもないだろう、と僕は理解したんですね。何の教養も知識もない35くらいの僕が子供に何の話ができるかというと、それはコモンセンスしかないんですよ。安彦さんに危険な部分があるとしたら、若いときから、あるイデオロギーを持ったことだと思う。僕はイデオロギーを持てなかったんですよ。本が読めなかったから。


安彦 僕には一つ忘れがたい思い出があるんですよ。吉本ばななさんが富野さんに会いに来たことがあるんだよね。彼女がまだ作家になる全然前の話だけど。そのときに富野さんが僕に、吉本隆明という人の娘が会いたいって来てるんだけど、会ったほうがいいかなって訊いたんですよ。富野さんは、吉本隆明のことを知らなかった。そのときに僕は、富野由悠季って人は僕とは違う世界から来てるなと感じたの。まさに政治で区切ったときの戦間時代から来てる人だと。


富野 僕が安彦さんのことを危険だと思うのは、若い頃の影響だけじゃなく、今の言い方も含めてなんです。勉強ができたり知識のある人のヤバいところは、まさにこういうところで、安彦さんは今、簡単に時代性の話をしたよね。この2、3年のズレがどうのって。そんなのお利口な人が頭の中で考えただけのズレであって、人の暮らしっていうのは10年、20年、50年通してのものなんですよ。2、3年のズレなんて全然問題じゃないの。お勉強ができる人たちにとっては大きな違いなのかもしれないけど、多くの人々にとっては、そこには何の違いもない。
 子供にとって一番大事なことは何だろうと考え、35歳の自分が出した結論は、ともかく嘘はついちゃいけないということだった。それを物語の芯にしようと思ったのね。それが「海のトリトン」という作品だった。原作がひどいと思ったから変えた。そしたら虫プロの先輩たちに袋叩きに遭って、即出入り禁止になった。でも、ガキが怪獣に追いかけられてるだけの話で、ただ怪獣に勝ちました、パチパチってそんなバカな話、作れるわけないじゃない。だって、そんなことやったら嘘になるから。嘘をつかないためには、僕はトリトンをああいうふうにしか作れなかったんです。なぜトリトン族が二千年も怪獣に追われてるかというと、それは二千年の恨みを買ってるからだろう。だとしたらもともとはトリトン族のほうが悪いんだよねという話に、必然としてなるよね。だからそういう話にしたのに、なぜか分からないけど富野はヘンだって言われちゃう。